2010年7月3日
11年ぶりに訪れた南インドのチェンナイで、11年ぶりに再会したカンチャナ。明後日の婚礼にむけて、ネイルとお顔のケアのために美容院へ行ってすっきり・ぴかぴかになった帰り道。滞在中にはたくさんの写真を撮ったけど、両親のアショカ&チェラさんにいちばん喜ばれたのはこの写真だったように思う。「モリさん、これこそカンチャナです。23年間、ともに暮らしてきた私たちの娘です」
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ふたたびインドの話。
ちょっと間があいたのでいま一度解説させてもらうと、私が11年ぶりにチェンナイを訪れたのは、11年前にかの地で出会ったアショカ家の娘・カンチャナの結婚式に参加するためでした。
そしてかつて12歳だった女の子は、23歳の立派な一人の女性に成長していたのだった。

かつては吹けば飛ぶような細っこい娘だったのになあ~(ただし当時から目ぢからアリ)
・・・
12+11=23だから、あたりまえと言えばあたりまえ。
だけど彼女との再会は、「大きくなったね」以上の感慨を、私に与えたのであります。
「モリさん、ご無沙汰してました。ご家族はお元気ですか?」
ひょうひょうとした雰囲気と笑顔はかわらない。ただ前回と大きく違うのは、それがじつに流暢な日本語だったということ。
カンチャナが数年前から日本語を勉強し始めたことは知っていて、何回かチャットで日本語についての質問を受けたこともあったのだけれど、まさかここまで上達しているとは思わなかったなあ。
「カンチャナ~、日本語うまくなったねえ!」
「いえいえ、まだまだ足りなくてお恥ずかしいですよ。でも先日、おかげさまで初めて通訳の仕事を経験することができました。これからというところですね」
おばちゃんは、ただただ驚愕したのであります。
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11年前、カンチャナはちょっととんがったところがある思春期の女の子で、具体的には、彼女はお父さんの生き方に少し反感を抱いていたのでした。
「父は日本へ留学して日本語が堪能になって、たくさんの日本人と交流していますが、私にはその意味や目的がわからない。いろんなことに興味を持って、いろんなことに手を出して、すぐに相手をいい人だと信用して、あげく失望することも多いのです。私や母という家族を持ちながら不安定な生き方をするのは、無責任で自分勝手だと思うんです」
12歳のカンチャナと、たまたま居間で二人きりになったときに彼女がこぼした愚痴を、私はよく覚えている。
そしてその時、私はしっかりした娘だなあと感心すると同時に、共感も抱いたのです。
だってね。たまたま奥さんが町で知り合った得体の知れない日本人(=私たち)を家へ招いて、あまりにも無邪気に「モリさんたちはいい人ですネー!」と喜ぶアショカ氏に、まさに直面していたからね。
「アショカさん、警戒心なさすぎ!」って思ったもん、正直なところ。
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おそらくこれまでにも何度もそういうことがあって、そのたびにカンチャナは小さなホステスとしての役割を果たし、父親の気まぐれに振り回されてきたのでしょう。
だからただピュアに日本語を学ぼうとする夢多きインド人よりも、カンチャナはよっぽど、日本人のよい面も悪い面も知り尽くしていたはず。
そのカンチャナが日本語を学び、そして父親と同じく通訳の道を選んで歩み始めるとは、じつはかなり意外だったのです。
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2010年、23歳のカンチャナは言う。
「父のことは尊敬しています。彼の日本語能力は、簡単に越えられるものではないと痛感しているし、たんに日本語がうまければ通訳できるわけじゃないってことも、今はわかっているんです」
おお、なるほどなるほど。そう思えるようになったのはよかった。
「ただし」
ここで続けたカンチャナの言葉には、思わず吹き出してしまったのであります。
「私は父よりももっと堅実で計画的です。23歳で結婚し、子どもを生んで、もっと日本語を勉強して、一流の通訳を目指すつもりです。婚約者のバラジも、それを理解し応援してくれる人だから結婚するんです」
だはははは~~!
しっかり父親が反面教師になってるよ~~~!
おばちゃんは笑いすぎて泣けてきたよ。
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なんにもかわっちゃいない。
アショカ家のどたばたぶりも、台所から漂ってくる匂いも、屋上から見渡せるチェンナイの風景も、ベンガル湾から抜けてくる風も、豹変したものなんて何もない。
だけど、こんな言葉を聞ける日がくる。しかも日本語で。
それがカレンダー11冊ぶんの年月というものなのね。
あの居間の、その先の未来に、私はいるのね。
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カンチャナの部屋の壁に貼られていた紙には、日本語がびっしり。
これを見たとき、ドキッとしたのです。ゼロだったカンチャナが、ここにある言葉や漢字をすっかり吸収した11年間で、私は何をしただろうと。カンチャナが辞書や参考書と格闘したいくつもの夜に、価値はあるのだろうか。日本人は、その彼女のがんばりに応える国だろうか、民族だろうか。もうただ単純に、まだたくさんいるであろう世界じゅうのカンチャナに恥じない日本にしなくちゃって、思うじゃありませんか。
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気になるカンチャナとフィアンセ・バラジが婚約に至った経緯については、次回。
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2010年6月17日

1999年/11年前の筆者とアショカ夫妻
2010年/ふーむ。どうです? 私たち、かわった?
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漫画家・グレゴリ青山氏の著書に、『ふたたびの旅。』というのがあります。

『大人の週末バックパック ふたたびの旅。』/グレゴリ青山著/メディアファクトリー/950円(税別)
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行ったことある国の、行ったことある場所へ、再び行ってみた。
グレちゃん自身が経験した、そんないくつかの旅と再会を描いた漫画エッセイなのですが、この「あとがき」の文章がしびれるのです。一見中学生が書いたのかと見まがうほど素直な文章で、真実のど真ん中をドキューンと貫いている。
その文章にシンクロする自分の思いを私が書こうとしても越えられるわけないと思うので、グレちゃんに無断で一部抜粋させてもらうことにしました(こらこら)。
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再びの旅というのは、実はちょっとコワイ。
楽しかったり、美しかったりした記憶の風景が、現実の風景に踏みにじられてやしないかと心配で、好ましい記憶の温存のためには二度とその場所へ行かないほうがいいとさえ思うくらいです。
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前置きが長くなりましたが―――そうなのです。
私は今回のインド旅の予定に、ふたつの「ふたたびの旅」を組み込んでおりました。
その心境がまさにこれだったわけです。
「ちょっとコワイ」
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そうしてこわごわ乗り込んだチェンナイは、かわってないけど明らかにかわっていて、当たり前だけどそれについての興奮もがっかりも喜びも、「再びの旅人」でないと味わえないのだった。
・・・
かわってない
約束してなかったのに、チェンナイの空港に迎えに来てくれてたアショカ&チェラ夫妻。アショカさんのおなかがちょっと出たぐらいで、二人ともかわらない。アショカ氏は53歳、ってことは11年前の彼と今の私がほぼ同い年ということか。
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かわった

車の車種が。
「いまインドでは価格の安い国産や韓国の車の人気が上がっていますけど、やっぱりねモリさん、性能も燃費もアフターケアも、日本車がいちばんデスよ」
現在、インドで日本車といえばスズキ。アショカ氏の新車もやはりそうだった。意外なことに、トヨタやホンダはどちらかといえばマイナーなんだって。
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かわった

アショカさんちの前の私道。地道だったのが、
きれいに舗装されていた。
「この私道は奥のほうにある他の家の人たちも使うのですが、彼ら全員が同意してお金を出してくれるのを待つのは難しいとわかったので、私が全費用を出しました」
アショカさん、仕事がうまくいってるんだね。
「ええ、おかげさまで好調デス。自分自身の中にいろんな迷いがあった11年前に比べてずいぶん状況はよくなって、充実していマス」
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かわった

アショカ家の隣人の犬・ビブ君が
ちがう犬に代替わりしてた。
ただし名前は先代と同じ。「だってー いちいち考えるのがめんどうだから」
↑インドではこのパターンが多いような気がする。
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かわった

アショカさんの仕事場のデジタル機器。一台きりだったパソコンが、
今や2台のデスクトップ+1台のノート+株価変動チェック用のテレビが常時電源ON状態。
ぜったい電磁波の量も増してまっせ。
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かわらない

居間の神様の銅像
同じ窓際に
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かわったけどかわらない

チェラさんのママの遺影写真
場所が移動したけど、かわらず暮らしによりそってる
・・・
うーん、何もかもが懐かしい。まさかまた戻ってくる日が来るとは思わなかったし。
かわったものも、かわらないものも、アショカ家のすべてにいちいちワーキャー騒いでしまったのです。
私たちが去ってからも、ここにはこの家が存在して、ここで彼らの人生は続いてたんやなあ。
・・・
だけどね、最高に嬉しい「かわった」は、やっぱり・・・・・
次回につづく!

これだけはまったくかわらない、おそらくこれからもずっとここで。激しく寄せては返しを繰り返す、ベンガル湾の波。
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2010年6月14日

さかのぼること11年前。南インドはチェンナイのバス停で、「どのバスに乗ればええんかな?」と迷ってたときの写真。
後ろ姿はいっしょに旅した友人のMちゃんと、バスの説明をしてくれた親切なおじさん。といっても重要なのは、じつは奥に写ってる緑色のサリーの女性だったりするんですが。
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このときはまだ見知らぬ同士だった。
そして数秒後に我々の存在に気づいて声をかけてきてくれたその人こそが、その後のキーパーソンとなるのでした。

「日本の方デスか?」←うわっ、日本語だあ!
彼女の名はチェラさん。
聞くと旦那さんがかつて山口県への留学経験がある大の親日家で、だから彼女も少しだけ日本語を話せるんだとか。めったに日本人を見かけないチェンナイだから、驚いたのなんのって。
そしてその日のうちに、

旋風のごとくホテルまで会いに来てくれたのが旦那さんのアショカさん。日本とインドの企業の橋渡しが仕事。日本語は「うちのダーリンよりうまい」と思うほど。
そして我々はそのチャーミングなお人柄に、一気にフォーリン・ラブしてしまったのでした。
・・・・・・

家に招かれ大盛り上がり
もう、もう、じゅうぶんすぎるほど幸せ~と思っていたのです。
ところが我々が映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』のファンだからチェンナイへ来たと知った夫妻が、「なら主演女優のミーナに電話してみましょう」と言い出したものだから、

↑と、笑っていたら

本当に電話しちゃったりして
で、本当に会えちゃったりして
(↑コネなし。吉永小百合にいきなり電話したら家へ招かれたと言うようなもの。すでに何度も紹介してる話ですな。詳細は自著『旅のそなた!』をご覧下さい)
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ほかにも、

ほかにも、

彼らのおかげでチェンナイ滞在3泊4日は

最高のものとなったのです。
・・・・・・
その後、日本でも何度か再会が実現して

ここだけの話、アショカさんの尻尾をつかんじゃったりもして
なんだかんだで海をはさんだ交流は、その後もずっと続いたのでした。
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そして・・・なんとも嬉しい知らせが舞い込んだのが、今年のはじめ。

「森さん、娘のカンチャナが結婚することになりました」
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これが私が5月に旅立った理由。バス停の出会いからカレンダー11冊ぶんの時を経て、ふたたびチェンナイの地を目指したいきさつなのです。
さあ、ではいよいよインドに降り立ちますよ。
友人たちのもとへ。
ふたたび、タミルナードゥの神様のもとへ。
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チェンナイはあまり日本人観光客にはなじみがないけど、南インドの玄関口。タミルナードゥ州の州都。かつての地名『マドラス』は、マドラス・チェックの語源なのです。

チェラ&アショカ夫妻のひとつぶ種・娘のカンチャナ(当時12歳)と、いとこのマナサ(5歳)、うちの娘(3歳)。さて、どんな風に成長してるかな? こんな種類のワクワクは、若いもんにはわからんだろうな。


自分が嫁入りしたときの大切なサリーを着せてくれたチェラさん。「森さんは、亡くなった私の母と似ています。どこか面影が重なるのです」

うしろの壁に飾られたお母様の遺影はお顔の彫り深くて私ののっぺり顔とは明らかに違うんだけど、そういえばと思うところもあって。これも何かのご縁でしょうかと、語りかけたのです。
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2010年6月1日
ただいまーっ! 旅の空、インドの大地から帰還いたしました。
インド滞在中に航空機事故と列車転覆事故のニュースが日本でも流れ、ご心配をおかけしたと思います。心痛い事故でした。でも私は元気。まずはそのご報告を。
留守中の家族と私の旅を支え応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまで、インドの神様、旅の神様から「よっしゃよっしゃ」と可愛がられた最高の旅でした。

飛行機の窓から、これから降り立つ大地が見えてくる。
幾千万もの家の窓の明かりは、さながら銀河のごとく。
ひとつひとつの窓の中に人びとの暮らしがあり、それぞれの喜び、あるいは悲しみ、おのおのの事情や都合を抱えながら今そこで生きている。
そして私が思うのは、自分が今から、あの窓の中のひとつに必ずたどり着くのだということ。

おびただしい数の星の海から私がすくいあげるのは、たかがビーズ数個ぽっちにすぎません。
されどそれが私にとってのすべてとなるのだから、くれぐれもよろしくと、半ば脅しにも似た勢いで旅の神様にすがりつくわけです。
・・・・・・
驚くべきことは、旅の神様がその思いにちゃんと応えてくれるということ。
こちらの期待や理想をはるかに越えた要素や仕掛けを準備して、ほい、ほい、どうよどうよと差し出して、まるで神様自身がそれを面白がってるような気配さえ感じられるのでした。
というわけで成立した旅の断片を、私がたどりついた窓のひとつひとつの向こう側を、印刷物やブログを通しておいおい報告していきたいと思います。旅の神様、今回もノリノリでしたよ~。
どうかお楽しみに!
ヴァラナシの道端で出会った悪ガキども。「写真とるぞー」「うひょっほーい」とノリノリではりきってくれたのはいいけど、調子にのりすぎて乱闘に(^^;)展開しつつあったので、「やめんかこらー」とカツいれておきました。「インドやフィリピンの子どもの目はきらきら澄んでいて日本の子どもとは違う」なんていう人もいますけど、私に言わせりゃどこの子どもだって同じ。自分勝手で、たくらみに満ちていて、すぐ調子に乗りやがる、もんね。
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2010年5月28日

ついにきたきたきた!
ガンジス川、聖なるガンガー!
インドでの航空機事故のニュースで心配かけていると思いますが、おかげさまで元気です。旅は交通機関を乗り継げば成立するわけじゃないってことをあらためて実感しています。当たり前のこと、当たり前じゃないことについて考える、バラナシの宿にて。
2010年5月26日

I am in north of India,this is 2nd visit .
full of ROSES. full of cherry, everythings wrapped in [pleasure]!!
let’s share the smell of roses,
oh yes, my little friend (on photo) was not here in 5 years ago.
I could be back. all because of the god’s welcoming.

1st written Blog at internet cafe
2010年5月20日
泣く子も黙る南インドのスーパー・スター、俳優のラジニ・カーント様と、氏のご自宅前にて。
クイズにお答えいただいたみなさんありがとうございます、はい、あっさり白状します、私は南インドのチェンナイにいるのです。
ムトゥ踊るマハラジャのヒーローー。スーパースター ラジニカーントさまのおひざもとです。
11年ぶりのチェンナイ。
来られただけでもうれしかった。
なのに、なのに、なのに タミルナードゥの神様 旅の神様ときたらね。
17分前、ラジニさまの家の前にて。
そうです、ラジニ様ご本人です。
撮影にでかける車が門からすべりだしたところ、だった。
あと2秒遅かったらありえなかった。
ふるまい、たたずまい、言葉、しぐさ、すべてがすばらしく、握手した手の骨格までもがかっこよかったのだった。
興奮さめやらぬアショカさん宅にて(アショカさん詳細は自著「旅のそなた!」の「実現する男」をご覧ください。またしても実現した男。。。)、17分後の森優子、チェンナイの空の下より
2010年5月19日
あらなにごと?という写真は、本日・いま現在風呂あがりのワタクシの手。
バックに流れるテレビ映像は、愛の喜びを表現しながら激しく踊る男女。
さ~てここで出題でございますわよ。
私はいま…
�どこに
�なんのためにいる
…のでしょうか?
正解の方にはもれなくブラボーと叫んでさしあげます。ふるって書きこんでくださいね。

2010年1月7日

上海の目抜き通り・外灘/大晦日の11時20分ごろ↑ のどかな雰囲気♪
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2010年の年明けの瞬間、さてみなさんはどこで誰とどのように迎えられたでしょうか?
私は、上海で。
姉と娘と三人で。上海の象徴的な風景がのぞめる外灘(ワイタン)の一等場所にて、2009年が2010年にかわる瞬間を中国の人々と迎えてきました。
いやー、じっつによかったんですわ、これが。というわけで、その雰囲気をさらっと紹介させてもらうことにしましょう。

陣取ったのはオールド上海側の川岸、招商銀行前。
私が海外でカウントダウンに参加するのは二度目でして。
一回目はかれこれ16年前、ニューヨークのタイムズ・スクエアでした。
世界一有名なカウントダウンゆえに、それはもうたいそうな人出で、5時間前から警察による入場規制がはられてた。だから6時間前から凍てつく寒空の下で足踏みしながら年明けの瞬間を待ったものです。
いってみりゃ、『何が何でもタイムズ・スクエアで年明けを迎えるぞ!』という強い意志と、健康な体と、使い捨てカイロ10個以上を持ってないと、とうてい乗り越えられないハードな年越しだったわけです。
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んなもんで、さて上海はどうなんだろうと。
上海のカウントダウンについては事前に入手できる情報がほとんどなく、とにかく行ってみるしかないなとのぞんだわけですが、結論から言って、NYよりもはるかに楽で、かつ、ちゃーんとお祭り騒ぎの興奮と、人々と祝賀ムードを共有。大満足の年明けとなったのでした。
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昼間に下見して、南京東路あたりにカウントダウン・ライブが行われる野外ステージが組まれているのを確認。人民公園にもステージが出て盛り上がるらしいけど、『上海と言えば外灘(ワイタン)』という思いが強い私は、なにがなんでもワイタンじゃ♪
外灘に到着したのは、すでにカウントダウンの瞬間まで一時間をきった11時10分ごろ。
人がどんどん集まりつつある。
とはいえ、路上はラッシュのような混雑はなく、じつにのどかな雰囲気。
物売りも、焼き芋屋台と、ぬいぐるみ風の帽子を売ってるおじさんぐらい。大阪の町内会の盆踊り会場のほうがよっぽど商魂たくましい。
さすがに特設ステージ周辺は芋の子洗う状態だったけど、そこからわずか50~60メートルほど離れた一等地はいとも簡単にゲットできたのでした。

右の赤いのが特設ステージ。立派なカメラと三脚でスタンバってた中国人カメラおじさん(右)が、自分の前に立った人に「すまんけど、私ここで写真撮るから、よけてくれん?」と言ったら、言われた人は「あっ、ごめんごめん 別の場所に行くわ」という感じで、ヒステリックな雰囲気は皆無。23年前の中国の路上では、しょっちゅう殴りあいの大喧嘩を見たものだから、このおだやかな会話さえも私にとっては意外でなあ・・・・・・・。
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11時40分ごろ、ようやく周辺が人で満杯に。

意外にも、車道には交通規制はなく、路線バスも自家用車もタクシーもふつうに走ってた。上海警察がパトロールしてて、いちおう「ここに車とめないで」と注意したりするけど、戦々恐々とした感じはなし。

2010年に開催される上海万博のために、工事中で黄浦の川面は見えないんだけど、チャーター便と思われるぎらぎらイルミネーションの遊覧船が川面を行き交ってるのが見える。超きれい。
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空にサーチライト、テレビ塔のイルミネーションもきらきら、ためし打ちみたいな花火もぽこぽこあがりはじめ・・・・・向かいのビルにでっかく投影されたデジタル時計を見ながら・・・・・
いよいよですよ!


カウントは・・・・おおっ、中国語だ!
三(さん)、二(あーる)、一(いー)・・・・・
ハッピー・ニュー・イヤー!!!




NYのときは、まわりの見ず知らずの人たちと抱き合ったりキスしたりと大騒ぎで、それはそれで感動的だった。
けれど、今回の上海の、それぞれが幸せそうに同じ空を見上げる雰囲気はむしろ私の性に合ったというか。やっぱり、アジア人やねんなあ、自分も、中国の人たちも。

それでもいちおう周囲のひとたちとは記念撮影。みんなとってもフレンドリー♪

ところで、おわかりでしょうか。空に点々と浮遊する、↑↑オレンジ色の光群。
さいしょは『お金持ちがチャーターして飛ばしてる遊覧ヘリコプターかいな』と思ってたんだけど、その正体が判明しました。
ランタンだったんです。紙製の。固形燃料で空気をあたためると、高く空に舞い上がる仕組み。これが無数に空に浮遊してたんですなあ~。
願いごとと、自分の名前を書いて、空へ飛ばす。

若造あんちゃん二人組のランタンには、『お金と 強い心がほしい』(漢字からの推測)といったニュアンスの文字が油性のペンでしたためられておりました。
火がついたものを、都会のど真ん中でふわふわ飛ばすことが禁止されてないとは。防災条例とか、ないんか?(ないんやろなあ)
23年ぶりに訪れた上海のあまりの変貌っぷりにアワくっていたのですが、こんなおおらかさが残っていたことに、ちょっとほっとしたのです。
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シャンパンふりまわして馬鹿騒ぎしていたのは、西欧人旅行者と思われるわずかなグループのみで、日本人もあまりみかけず、カウントダウンに集まったのはほとんどが地元上海の人たちと思われる人たちでした。しかも、比較的若い人たち。
中国の人たちにとっては旧正月こそが真の正月であって、西暦のニューイヤーは「いちおう」というレベルのもの。街の中には祝賀ムードはほとんどなし。カウントダウンが思ったよりのどか~♪だったのは、それゆえでしょうか。
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大躍進を続ける上海だけど、むやみに「いんたーなしょな~る!」な西欧サルマネ的盛り上がり方を見せるわけでもなく。
あくまでもマイペースで西暦の新年を祝っていて。
それがすごく今の上海らしいという気がして、おお、いいぞいいぞと思ったのでした。
もしかすると、来年はもっと様変わりしてるかもしれんなあ・・という予感もなきにしもあらずですが。
おもしろかったあ~~~~~!!!

ネオンサインは「ハッピーニューイヤー」のあとに2010年万博をしっかりPR 中国やるき満々

中国のひとたちにとって、本気でエネルギー爆発させる正月は2月の旧正月。街中には「正月の爆竹(ばくちく)の量に注意! 命を大切に!!」みたいな啓蒙ポスターが。爆竹で事故ったやけど患者の写真がみせしめに・・・・ひええええ

ホテルのテレビでNHK紅白歌合戦を生放送で見ることができたっ♪ 「嵐」の登場をしっかり見てから、カウントダウンへ出陣したのです。ああ、21世紀や・・・(ただし日本のニュース番組は中国では流されないの。ここのあたりが、おーやっぱり中国やなーと
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