2009年12月25日

娘がサンタからもらった歴代プレゼントの一部。貯金箱、財布などなど、いささか地味ですな。ほうきは娘が「魔女の宅急便」のキキに憧れてたとき。ずっとまたがって飛んでたなあ。
こどもはよんではいけません。はやくねなさい。またね。
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今回のブログはR指定です。
というわけでここからは、とっくに大人になったみなさまへ。
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おかげさまで我が家も、ひとつの季節を卒業することになりました。クリスマス・イブの夜、とうとうサンタさんがうちには来ないことになったんです。
ちなみにうちの娘は中一、13歳。
「えっ?! まだサンタ信じてたの?」「まだ親がサンタのふりしてプレゼント贈ってたの?」と驚かれるかもしれませんね。
そうなんです。去年のクリスマスまでは「イブの枕元に置くサンタからのぶん」と「25日朝に親から渡すぶん」、ふたつ準備してきたのですよ。毎年クリスマスのたびに「なにもふたつ準備しなくてもねえ・・・」と思ってきたものの、こういうのって途中から変更するはなかなか難しい。いきなりサンタを廃止するのは不自然だし夢がない、かといって親からのプレゼントを取りやめるとサンタだけに手柄取られちゃうみたいで面白くないし。
まあふだんあんまりものを買ってやってるわけじゃないからええかーと続行してきたのでした(もちろん家庭ごとに違うけど、うちと同じパターンのご家庭も多いようですね)。
でもそんな季節ももう終わりです。
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いやー、さすがにね、そろそろ卒業してよかろうと思ってたんです。
だって、ふつうに社会生活を送ってる中学生がサンタを信じ続けるなんてあり得ないもんね。「セコムとかのセキュリティシステムって、サンタには反応しないような機能があるの?」とか、「サンタのプレゼントの財源はフィンランド政府から出てるの?」とか、「イスラム教徒の家にも来るの?」みたいな質問が娘からあがってこない・・・ということは、当然とっくに気づいてやがるんですよ。
いっそしらじらしくサンタを演じ続けて、逆に娘がタヌキ芝居をいつまで続けられるかお手並み拝見しようかとも思ったんですが、いやもういいだろう、小学校卒業した今年がキリがいいわと思いまして。
今年のクリスマスは親からのプレゼントに一本化。で、それを渡すときにこう言おうと決めてたんです。
「サンタから電話があってな、お宅の娘さんはもう大きくなったから今年からはプレゼントはなしですって、娘さんに伝えてください、って言うてはったわ」とな。
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ところが、サンタ卒業の瞬間は思いがけない別のタイミングで訪れたのでした。
一昨日、12月23日の夜に宅配便の荷物が届いたときのこと。もう夜の10時半をすぎていて、配達員さんは「夜遅くに本当にすいません」と恐縮してらした。
きっかけは、荷物を受け取って玄関を閉めた娘がぽつりと言ったひとこと。
「今日明日は宅配の方たち大変よねえ。サンタクロースだもんねえ」
・・・・・だからすかさず聞いたのです(私から)。
「ねえねえ・・・・・サンタって、いるの?」
娘、一瞬あっという顔になり「も、も、もっちろんいるよー(^^;)」
顔を見合わせてあははは!というわけです。
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母「いつから知ってた?」
娘「去年、小6のとき、同じクラスのAちゃんが『あんたまだサンタなんか信じてんの? サンタは親なんだよ』って言ったから、へえーそうなんやーって」
えーっ?! それまで疑ったことなかったの? アホちゃうかって感じですが、でも少なくともうちの近所では小学校高学年でもサンタを信じている子供ってけっこう多いみたいなんですよ。
もちろん低学年のころから「サンタなんているわけないじゃん」と言う同級生はちゃんといたらしい。でもクリスマスはすでに冬休みに入ってることが多いってこともあり、あまり友達とその件についてとことん話し合うこともなく、どうやら「うちには来てるよ」「あんたんちには来ないんだね」という程度で済まされちゃってたようなんです。そんなに軽く受け流すのは現代の傾向か、あるいはたまたまか。まあ、たとえいぶかしんでも、
① サンタと親のプレゼントを両方ゲットするためには信じてるふりを続けたほうが得
② せっかく親が演技してくれてるんだから騙されておこう
・・・↑という風に子供なりに思惑が働くのかもしれませんけどね。
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うちのサンタからのプレゼントはそのときの娘にちょうどよさそうなものを選んでたとはいえ、上の写真のように、基本的には地味だった。貯金箱とか財布とかほうきとか。トイザらスというよりクレヨンハウス系(選択思考が)な傾向とでもいいますか。いちばん派手なもので去年の嵐の写真集。
「ほかの子は、wiiとか、缶バッジ製造マシンとか、シルバニア・ファミリーのセットとか、もっと華々しいものもらってたでしょ? それに比べるとうちは地味だとか、なぜ子供によって違うんだとか、不満や疑問はなかったの?」と聞くと、「いや、べつに。サンタが私にあうものを考えてくれたんやなーって。管轄によってサンタが違うんやと思ってたし」との答え。ふーん。
サンタからの手紙は、私がサンタになりすまして英語の筆記体で筆跡をごまかしつつ書いていた(一応サンタはフィンランドから来るガイジンという設定)。でも近所の電器屋のなっちゃんちは日本語。娘たちはお互いにサンタからの手紙をみせあいっこしていたはず。この違いについてはどう思ってた?
「うちのサンタは国際的なんやーって思ってた」
うーむ。そんなもんかいな。
ちなみになっちゃんいわく「うちのサンタは字が下手」なんだとか。
「たしかに変やねん。きっとあれはなっちゃんのママが左手で書いてるんだね」
やっとるねえ、やっとるねえ。
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年に一度の親と子供のだましっこ。
子供がサンタのために「食べてください」と準備したミカンを食べて皮だけ残したり、窓のサッシに鍵をかけずにあけておいたり。きっと今夜もあちこちの親や大人が同じようなことを実行していることでしょう。それぞれの家庭のスタイルで。
結局、親がやりたいんですな。
自分が子供のころに親がサンタしてくれてた場合は、自分もしてあげたい。
自分が子供のころにはサンタなんか来なかったという場合は、サンタが来るクリスマスに憧れる。
「わはははは! やっぱり子供はしょせん子供やな。まんまと騙されよって」
こればかりは、親ならではのお楽しみ。
あー、面白かったあ。

一本化された親からのプレゼントはマフラーと嵐のライブDVD。二点もあるなんて太っ腹、と思いきや、じつはまだ購入段階ではサンタ問題に迷いがあっただけ。娘からは、『Dear Santa Claus(親愛なるサンタさんへ)』と題した、習い始めたばかりの英語フル活用(5~6年後に本人が読んだら赤面間違いなしの英文)の、これまでのプレゼントに対する礼状が。なんで英語なのかって? そりゃもちろん、森家へ来るサンタはガイジンだったからです。
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2009年12月24日

渡辺美佐+山像かおり(脚本書いた秋之桜子でもある)=羽衣1011
本を書く人も、舞台に上がる人も、基本はかっこわるい
……と、思うのです。
だって、「私はこれがいいと思ってやってます」ってことをさらけ出してるわけだから。
でももしかすると、結局この世でかっこいいになり得るものは、それがベースにあるものばかりじゃないだろうか。嵐も、郷ひろみも、スガシカオも、佐野元春も、マイケル・ジャクソンも。
少なくとも私の検証では例外はないんだけど、どうでしょう。
そんなことをつぶやくのは、ちょっと前にこのブログで書いた女二人芝居ユニット・羽衣1011
(http://mori-yuko.namaste.jp/blog/?p=292←稽古場にお邪魔したときの話)、その本番を観てきたからです。『純情姉妹繁盛記』(於:ウッディシアター中目黒)。
爆笑につぐ爆笑のジェットコースター芝居。同行した女子中学生二名もドカドカ笑いっぱなしで、終演後の感想は「超ウケたー」「ウクレレ弾きたーい」。観てない人には気の毒なほど、ずばり名作でございまいた。
(以下、ちょこっとだけあらすじを書かせてもらうので、3月発売のDVDを白紙状態で観たい人はここでアデュー)
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登場人物はふたりの女。
有名漫才師の娘(山像かおり)=いわゆるサラブレッド
有名漫才師のめかけの娘(渡辺美佐)=いわゆる日かげ者
要するにおかあちゃんが異なる腹違い姉妹ということですな。奇しくもこの二人が漫才コンビを組んでデビューすることに。有名漫才師の娘という話題性もあり、かわいこちゃん系女漫才コンビとしてふたりは一躍人気者になったのでした。
ところがサラブレッドは気づいてしまった。お笑い芸人としての天性のセンス・父親のDNAが、自分よりもむしろ日かげ者のほうに濃厚に受け継がれていることを。
そしてとうとう、サラブレッドがとんでもない行動に出て・・・・・
お話は、その数年後。日かげ者(渡辺美佐)が郊外の安アパートへ引っ越してきた当日、サラブレッド(山像かおり)がハワイ土産のマカデミアナッツチョコを持ってひょっこり現れる、「なんで今頃あんたが現れるのよッ?!」という状況から始まっております。
そして結論から言えば、確執から二人が開放されてもういちど生きはじめる物語なのでした。
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「ものわかりがいい人になるしかない」ってところが人生にはあると思うのです。
ものわかりがよくなるのはけっして悪いことじゃない。いちいち根に持たず、こだわらず、相手も自分も傷つかないように受け流し、許容する。上手に折り合いをつけられるようになっていくのはむしろ開放的で、だから私は大人になって本当によかったと思っております。
でもたんに「押し込める」だけになってしまってることも、中にはあるんじゃなかろうか?
じっさい、この劇中の二人もそうだった。
でもここで、ガチンコで向き合った。
そしてふたりはやっと、同じ平面に立つことができた。
で、ふたりが再起をかけて漫才コンビとしてふたたびステージに立つところで芝居は幕となります(ネタバレ御免。でもこの芝居で大事なのはそこにいたるまでの二人の経過・掛け合いなの~)。
そのラスト・シーンの爽快なこと。
王子さまが救いにくるハッピーエンドと根本的に違うのは、主人公二人が自分自身でその展開をゲットしたからでしょう。
現実では、目の前の日常をまわしていくことのほうがよっぽど優先事項だから、ふたりが選んだ道ははっきりいってアホで無謀でリスクが高すぎるんだけど、でもきっと誰もが多かれ少なかれ二人のバトルやアホっぷりに憧れてるに違いないんだ。
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ちなみにこの脚本を書いた秋之桜子は、サラブレッドを演じた山像かおり氏本人。
なんでこんな話を思いつくの?
なんでこんな風に演じられるの?
こう言っちゃなんですが、ふだんの山像かおり氏はドがつく大ボケ人間で、なぜここまで無事に生きて社会生活を送ってこられたのか不思議なほどなんですけど。
山像氏が「まんまと巻き込んだ」という渡辺美佐氏は天才肌。でも今回の芝居はこれまでに確立した羽衣スタイルをブチ破るような挑戦的な構成でもあり。吉と出るか凶と出るかのぎりぎりにチャレンジする精神、40代の中年とは思えません。もしかすると真性のアホかもしれません。神聖のアホ?
よどまず、とどまらず。羽衣は前にしか進めない魚のようです。
ええ年した女二人が漫才師の格好をしてウクレレかきならして。
そしておそらく、この舞台を創り上げるために多くの人を巻き込んで、焦る夜明けをいくつも迎えたことでしょう。
羽衣1011『純情姉妹繁盛記』は、超かっこわるい超一流のかっこいいでした。
それは声高に叫んでおこうと思ったのです。
自分のためにも。世界のためにも。
羽衣の芝居は一年に一回。来年もやってくれるかな。次は見逃したらあきまへんでえ。

- 中学生どもに「笑ってエネルギー消費した、とんかつ食べたい」とせがまれ行った下北沢「かつ良」。ええい、予定より高くついたが、まあええわ(と言ってもコストパフォーマンス最高、ヒレカツ定食2100円)。我が家では何かひと山越えなきゃならんとき「これを乗り越えたらかつ良」という位置づけの貴重な店ざんす。なめこ汁、しそご飯、4~5種類の漬物、うやうやしく運んでくるネクタイ姿のお兄さんたち、いずれもブラボー。
羽衣1011の公式サイトhttp://hagoromo1011.pupu.jp/
山像かおりのブログhttp://kaoriokaki.exblog.jp/
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2009年12月11日

ご存知の方も多いでしょうが、グレゴリ青山は漫画家。男みたいな名前ですが女性です。念のため。
大っ好きなんです。そしてこれは自慢ですが、私はおそらく誰よりも早い時期にファンになった人間だと思います。彼女がまだ漫画家として本格デビューする前からなので。
そして縁あって友だちとしてのつきあいが始まってかれこれ13年。へへ。いっしょにお風呂にも入ったことあるんやでえー。グレちゃんがいま愛用してるペンは私が教えてあげたんや。へへへ。
新刊の話。

『田舎暮らしはじめました ~うちの家賃は5千円~』 グレゴリ青山/メディアファクトリー/950円+税
かつて東京に暮らしていたグが、いきなり和歌山のど田舎に引っ越したのがかれこれ7~8年前。4年半の和歌山秘境暮らしを中心に、現在の京都近郊の片田舎に至るまでの、グ夫婦の田舎暮らしが描かれた漫画なんです。
田舎暮らしの本といっても、いわゆるロハス本とは一味ちがうんですわ、これが。
だってそもそも彼女が田舎暮らしを始めた理由ってのが、「自然の中で暮らしたい」とか「都会のコンクリートジャングルで人間が忘れかけた何かを求めて・・・」とゆーのではなく、ずばり、

↑・・・・・・「そして月5千円という家賃の安さに目がくらみ、特に深い考えもなく引っ越した(本人談)」、だったのでね。
「ええ~っ!?ええんかそれで?」とツッこみたくなるような理由ですが、でもまてよ、そういえばこれってけっこう説得力ある動機と思いませんか。
「とれたての自家製の野菜のおいしさ♪」とか「小鳥の鳴き声で目が覚めること」よりも、「家賃が安い」という要素のほうがよっぽどストレートに「うらやましいー!」「共感できるー!」と思いますもん、少なくとも私は。
とはいえ実行できない。それを実行しちゃったところがグレちゃん夫婦の特殊性・希少性であり、『へええええ・・・』と感心するやらあきれるやらな部分なんですが、でもグ夫婦は勤め人ではないから物理的には可能だったわけで、あながち無鉄砲というわけでもないんですね。
私はこの本が、「田舎暮らしのあくまでも一例」というスタンスで描かれている点がたいへん気に入っています。
ナチュラル・ライフを礼賛するわけではなく、田舎暮らしなんてやめときなさいと警告するわけでもなく、グレゴリ夫妻の田舎での暮らしがたんたんと描かれている。
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たまにあるじゃないですか。いいことしか言わない、ナチュラル・ライフ礼賛記事。「大自然こそが子供にとって真の先生」とか「星空を眺めながら飲むビールはお金で買えない」みたいな。そのあとに、「そりゃあ大変なこともありますけどね(笑)」といったセリフが一応ついてるけど、それには詳しく触れないような。
嘘はないにしても、「本当にそれだけ?」と思っちゃう。「そりゃあ大変なこともありますけどね(笑)」の、「(笑)」に、じつは笑い飛ばせないことも含まれてるんじゃないか、田舎暮らしの本質と本音がそこに封印されてるんじゃないか、と。
(じつは地元の人からいじめられてますとか、じつは後悔してますとか、雑誌の取材で言えないよなあ、親の反対を押し切って会社を辞めて田舎に引っ越した人もいるだろうし・・・とは思うのですが)
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その点、グレゴリ青山の『田舎暮らしはじめました』は、いぶかしみようがありません。
「ぎゃあー、気色悪い虫ー、いややあああ」
「へび出たあああ」
「肥やし、くさああああああ」
「ひさびさに出ると都会って・・・・うわああああ」
「花、咲いたあああああ」
グが暮らす場所が田舎に移っただけの普通の暮らしなんだけど、田舎だからこそ生じるさまざまなトホホやオホホがあって、それらがひじょーに素直にたんたんと書かれているからです。
言ってみればモチーフが田舎暮らしの、グレゴリ青山のコミック・エッセイというだけ。グ本人もあとがきで「田舎暮らしに何のキョーミもないという人は、一種の旅行記として読んでくだされば」と書いています。
でも、なぜでしょう。田舎暮らしの「一例」にすぎないこの本に、かえって田舎暮らしのエッセンス(本質)みたいなものを感じてしまうんです私は。
ちなみにグレゴリ夫婦。ふたりとも町育ちなので、じつは「虫が大の苦手 見るのも触るのもいや」なんだそうです。
そのくせ田舎に引っ越したって・・・・・
家賃が安かったからって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あんたらなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぜひお読みくださいな。

じつは私、グレゴリ作品にはたびたび登場しています。私のことを知らない人から「もしかしてグレゴリさんの漫画にちょくちょく出てくる方ですか?」と言われることもあります。新刊でも探してみてねん。

田舎暮らしの本で、私がもっとも好きな絵のひとつ。(グレちゃん勝手にのせたで ごめんやで)
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↓ちょっと古いけど、私がWEB上でグレゴリ青山の本を紹介した記事
http://www.citywave.com/moriyuko/050119/main.html
↓めったに取材を受けないグの、貴重なインタビュー記事(聞き手=森)。ずいぶん前の記事なのに、グレゴリ青山を知る情報源としていまだに各方面から重宝されておるようです。
前編 http://www.citywave.com/moriyuko/050202/main.html
中編 http://www.citywave.com/moriyuko/050216/main.html
後編 http://www.citywave.com/moriyuko/050302/main.html
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2009年12月9日
「嵐」のコンサートに行ってきたのです。
いやあ、すごかったー。最高のパフォーマンス、最高のエンターテイメント、超一流のかっこいい。
嵐、嵐、感激のあらしっ。
英語で言うところの、まさにEMOTIONAL(エモーショナル=心を動かす)。
これ以外の表現方法があるなら教えてちょ――――だ――――い!
あのね、本当に素晴らしかったんですよ。
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入手が超困難なプラチナ・チケットなのです。メンバーの家族でさえ手に入らないという。
それをなぜ手にしたのかというと、近所のママ友が自分の娘のために一生懸命とったのに仕事の都合で行けなくなり、「娘を連れて行ってくれないか」と託されたのです。そんなわけで、うちの娘も含む三人の女子中学生を引率して行くことになったのでした。
嵐のことは娘が応援しているため、日々テレビやCDやDVDで見て聞いてました。なるほど嵐はいいなあ、娘に「大好き!」の対象ができてよかった、それが彼らでよかったと感謝するような、リスペクトの念を抱いていたんです。
でも自分自身がどっぷりファンとして応援し続けてきたというわけではないので、後ろめたさがあったというのが正直なところ。熱狂的なファンでなければコンサートに行く権利はないってことはないにせよ、なにしろ、行きたくても行けない人がゴマンといることがわかっていたから。
「ガラスの仮面(美内すずえ作)」の第一巻で、冬の海に投げ捨てられた芝居のチケットを、主人公の北島マヤが海に飛び込んで死に物狂いでつかみ、「こ、これで芝居に行ける」と言ったシーン、あのチケットと同じ重さを感じるからです。
チケットにハズれちゃった人はもちろん、家族に反対されたり、病気やケガ、介護や仕事や受験、不景気の影響とか、ずっと以前から応援しているのにチケットの競争率が高くなって悔しい寂しい思いをしてる人もきっといるんだもんね。嵐のチケットに限らず、チケットとはそういう重さがともなうものだって、わかってるだけに。
だから申し訳ない。でも、だからって引け目を感じてたらかえってあかんやろ、この機会、思いっきりエンジョイするでえ!と臨んだのですよ。おりゃああああ東京ドーム!
そして・・・・・
「やっぱり生はいいなあ」とか「やっぱり嵐はいいなあ」といったものをはるかに超越した作用を、心にどかーんと打ち込まれたのだった。
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嵐ってほんまに一生懸命なんですな。
それはまだ最終日ではなかったのに、どう見ても全力投球で。
たとえば「CRAZY MOON~キミハムテキ」っていう曲は、プロモーションビデオの振り付けのまま踊ったらメンバー死ぬだろうからステージではどのようにアレンジして見せるのかと思ってたら、「えええええええ そこまで踊るんか」と、そんな驚愕の3時間。
あんなに踊るんや。
あんなに手振るんや。
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嵐がすごいのは、自分たちが人気者の嵐になったことに甘んじてないことでしょう。
ある意味、10周年を迎えて大人気の現在の嵐は、決められたコンサート内容をこなすだけでもオーディエンスを満足させられるってところあると思うんだけど、だけど、彼らはそんなところでとどまってない。 それがすごい。
ちょっと前までテレビで流れていたauのCM「リーダー、影うすっ」っていうのがありましたが、実はあれを見て、思うところがあったんです。「けっして失敗はしてないしけどぎりぎりかもなー」って。なんというか「大野くんのキャラはこれがお約束でしょ」って会議室の声が、なんとなく聞こえてきそうな気がしたんです。
いじられ&なごみキャラのリーダー大野氏。それは彼の特徴だし、とうぜんファンに受け入れられやすい要素で、なにより宣伝効果があがればCMとしてはOKなわけだけど、でもこういうのはマンネリ化・馴れ合い・内輪受けの一歩手前ぎりぎりってところもあるんじゃないかなあと、ふっと思ったんですよね。余計なお世話かもしれないけれど、もしかするとこういうのは嵐本人たちの思いや本質を食うことになりかねないから、まわりは大事にしてほしいなあ、と思ったんです。
ところがコンサートでは、そういうものがいっさい感じられなかった。
曲を作る人も、衣装を担当してた人も、演出も、映像作った人も、あらゆる人がそれぞれ自分のプロフェッショナルとしての一流の仕事をちゃんとしてくれた、嵐に甘んじることなくはりきって生かした。
そして嵐本人たちもファンとどんより馴れ合いで同化することなく、ちゃんとファンを牽引して前へ進んでいて。それは10年間のまとめではなく、11年目に進化してる現在の嵐の姿で。よどみがない、快挙、爽快感。幸せそうだったなあ、嵐。喜びと感謝が全身からあふれていて、それが大きな力となって会場をひっぱってた。
圧倒されるんだけど、けっして自己嫌悪とかに陥らされる感じではなくて、「おお、見習うわ」ってむっちゃ素直に思った。
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コンサート終了後の、うちの娘(中学生)の感想。
「私、ソフトボール(部活)で、飛んできた打球、落としてる場合やないわーって思った」
解説→自分がこれまでがんばってきたつもりのことなんて、がんばってるうちに入らないというニュアンス。
親が何を説教するよりも、教訓をたれるよりも。
高所恐怖症のはずの翔君が宙吊りでラップを歌ってた姿、
相葉ちゃんのほとばしる笑顔と汗、
ニノのギターソロ、ステージ右から左へ左から右への全力疾走、
松潤の崇高なまでの美しさと輝きと立ち振る舞いのすべて、
おーちゃんの声の美しさ、そこにいるだけでもたらされる安心感、和、幸福感。
つべこべ言わない嵐の姿がいちばん効くわ。
かっこいいものに憧れることから派生するものが、いちばん力をくれるわって確信したのであります。
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嵐がいまの日本にいてくれてよかったー。国宝認定。
しょぼくて、けちで、保守的で理屈ばっかりで、どうしようもないものが多くて、憧れみたいなものに欠けていて、不祥事、自己責任、自己責任・・・。
そんな中でもなんとかポジティブに生きるべきなんです。とはいえ、そんな観念だけで生き生き生きられるほど簡単でもないもん。それぞれがそれぞれの事情を抱えて生きている。誰だって、多かれ少なかれの「つべこべ言わざるを得ないもの」に直面している。
だからエンタメの果たす役割は大きい。
演者は、ステージの上ではつべこべ言えないから言わない。それを見たら、おっしゃ自分もつべこべ言わんーぞって、その姿にひっぱりあげられながら生きられるもん。しばらくは。あるいは一生。
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駅から会場までいっぱい並んでた「チケット譲ってください」のボードを持った人たちを見て涙した中学生3人。
グッズを買うときにどれを買ってどれをがまんしようかと考えて。
誰かをリスペクトする気持ち、アホになった人間を見ること(←大切)、都内の電車の乗り換え方。こういうのを学ぶのは結局親からじゃなくてコンサートですよね。
こういうことも含めて、「かっこいい、大好き」がもたらしてくれるものが、人を成長させていくんやなーと思いました。
(ちなみにアンコールのとき、足元にちらばった紙吹雪を拾い始めた中学生たちを「アンコールやで、拾うのはあとにしとき」と制した引率者→ロッテンマイヤー森。「コンサートは客席のみんなで作るものや」という教育的意味合いをこめて言ったわけですが、中学生たちはハッとしたみたい)
嵐、ありがとー!
いまいちばん勢いがある嵐だから輝いてるんじゃなくて、嵐だからってことがよくわかったよ。
嵐と、これまで嵐を育ててくれた人たちに礼。そしてあの日、がんばって仕事をしていたMちゃん、ありがとう。

超一流のエンターテイメントを提供するジャニーズすごい。あれで7000円はぜったいに安い。コンサートパンフも最近は「3000円も出してこれ?」と憤りを感じるものが多い中、嵐パンフは2000円で「おおっ」という充実の内容。発行部数が多いからできることだとしても、それにしても心意気がなきゃできませんで。グッズも「足元見やがって」と思わずにすむ値段のものが多かった。中高生のお財布を考慮した価格設定だそうですが、そういうものを買うことも含めてコンサート、というジャニーズ事務所のエンタメ哲学みたいなものを感じましたなあ。それでしっかり商売成立させているのがブラボー。あと、個人的にすごく嬉しかったのが、客席の人たちが持ってるペンライトが新旧いろいろ混ざってたこと。「今回のツアーの新しいペンライトでなきゃ参加できない」みたいな雰囲気がないのが嬉しかったし、驚きでもあった
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