2010年7月27日
超かわゆいでしょ~ん。2010年元旦生まれのレナ。生後約8ヶ月。うちの隣町に暮らすセルビア人+日本人カップルの間に誕生したかわいこちゃん。ママのおなかにいたときから見守ってきた私にとっては、もはや孫なのよ孫。
…………………………….
友人のフリー編集者Tから「撮影のモデルになってくれるかわいい赤ちゃんを探しているのだが」という打診がありまして。
だから即答したのです。
「何を寝ぼけたことを言っているのだ。かわいい赤ちゃんといえばレナしかおらんわい」
というわけで、にわか半日マネージャーとなったわたくし。
お豆腐みたいにやわらかいレナをおべべにくるみ、べっぴんママとともに運んだのです。
所は渋谷某所の、おっしゃれ~なハウス・スタジオ。
さいわい始終ご機嫌で、4カットの撮影はさくさく進行。

レナが笑うとみんなが笑う、和やかな現場。
撮影後に編集者Tから送られてきたメールには、「子どもってすばらしい。みんなが優しい笑顔になる」。

↑「むわははは、私の手柄」とご満悦の敏腕マネージャー(く、黒い)。
レナが登場する本が完成したら報告しますので、孫じまん、また聞いてやってくださいまし。
・・・・・・・・・・・・・・・
いや、じつはね、レナは日本人のパパにそっくりなんですよ。
セルビア人のママから日本人にそっくりな赤ちゃんが生まれてくるんだから、つくづく遺伝子ってすごいものだと、レナの顔を見るたびに痛感しておるのです。
ここで、遺伝についての話を少し。
数ヶ月前にレナがセルビアに里帰りしたとき、セルビア人たちに何より驚かれたのは↓

↑レナの背中の蒙古斑(もうこはん)だったそうな。
蒙古斑はモンゴル・日本を筆頭とする東アジアのいくつかの民族、アメリカ先住民など限られた民族だけに見られる(可能性がある)現象らしいので、蒙古斑の知識も見た経験もない欧州の人にとっては「何これ?」な現象なわけですね。
いっぽう、逆に日本人にとってびっくり仰天なのは、あちらの赤ちゃんは生まれて3~4ヶ月ぐらいで頭髪がいったんすべて抜け落ちるってこと。

あちらの方たちにとっては「抜け落ちるからこそその後(生後9~10ヶ月ごろ)に美しい髪が生えてくる」という、いわば常識らしいんだけど。
参考までに見てみると。たしかにね。こんな↑ふさふさ級の赤ちゃんって、ヨーロッパでは見たことないもんね。
だからレナのママは初めて日本に来たとき、「赤ちゃんに髪がたくさん生えている!?」って、驚いたんだそうな。
やっぱり同じ人間でもいろいろ違うものなんですなあ。
・・・・・・
そして面白いのは、レナには蒙古斑と髪の抜け落ち、どちらの現象もしっかり現れたってことであります。
髪が抜け始めたのは生後6ヶ月ごろで、ピュア・セルビア人より少し遅めではあったらしいけれど。
パパとママ、日本とセルビア。
レナは二種類の民族の遺伝子と、そしておそらく文化も継承しつつ、これから大きくなって行くのでしょう。楽しみだねえ。
・・・・・・

オーストラリア人と結婚した同級生が、生まれた子どもをハーフと呼ばれることには抵抗があると言っていた。「うちの子はハーフ=半分じゃない。ふたつを併せ持った、ダブルなんだから」

あまりにもわかりやすすぎた、遺伝子のすごさを物語る懐かしのエピソード。どう見ても、夫はこの男女の間に生まれたミックスなんだ。初対面だから一応おしとやかにしようと思ってたのに、笑いをこらえるのがどれほど苦しかったことか。
・・・・・・・
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2010年7月22日
インドの首都デリーにて。ホテルの部屋にいたら、楽団の奏でる音楽が外のストリートから聞こえてきたから飛び出したらこの光景。馬に乗って、これから花嫁のいる会場に向かう花婿。
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インドのヒンズー教徒の結婚と、カーストのかかわりについての話です(上の写真とは関係がありません)。
古くヒンドゥー教の教義に基づいて4つの身分に分かれるカースト。
ガンジーがインドを建国した1950年に法律で禁止されたものの、じっさいには今なお人々の暮らしに根ざしているのが現状で、「結婚は同カースト同士で」というのは言わずもがなの大前提になっているとか。
ヒンドゥー教徒においては、結婚はもちろんお見合いさえも同カースト同士でしか成立しない、異カーストではまずあり得ない、のだそうです。
聞いてはいたけど、そしてインドの現実はやはり、そうなのだった。
・・・・・・・
日本人の感覚では「身分に束縛されて自由な恋愛ができないなんて理不尽、人権無視」「ロミオとジュリエットみたい=悲劇」と否定的に思われがちで、事実、カーストがインド社会にさまざまなマイナス要素をもたらしているのも事実らしい。
では、今すぐカースト的慣習を根こそぎ消滅させれば円満かというと……そればかりじゃなさそうだな、むしろ混乱を招いたり、具体的には職を失ったり結婚できなくなる人も増えるんだろうなという印象を私は抱いています。
是非はともかく、5000年におよぶ長きにヒンドゥー教徒として生きてきた彼らにとっての、これが「あたりまえ」なのでしょう。
・・・
多くの若者にとっても、それが結婚の価値観の基盤になっていることがうかがえました。
「恋愛結婚したいと思う?」と質問したら、返ってきた答えがほぼ「ノー」だったんですね。
「親が納得する結婚がいちばん平和で安心」
「結婚はふたつの家同士の交わりだから、それがうまくいくことが第一」
「燃え上がった恋愛のピークを持続していくよりも、円満に縁がついた相手とゼロから築いていくほうにエネルギーを注ぎたい。それが結婚だと思ってる」
恋愛結婚から派生して、カースト問題に関する声も聞こえてきました。
「たとえば異カースト同士で結婚したら、親戚間はもちろん、社会的にも孤立する要素がてんこもりなんだよ。生きていく上で弊害になる結婚なんてうまくいかないと思う。地球上に夫婦ふたりきりしかいないならともかく」
「異性とつきあうとき、カーストは気にするものだよ、とうぜん」
これらはもちろん、私個人がたまたま知り合ったほんの数人の若い男女の意見であって、これがインドを代表する意見とは言いません。
ただ、要するに、自分がカーストが異なる相手と結婚する可能性については、

↑というのがおしなべた感覚なのかな、という印象なのであります。
・・・・・・
インド映画ではたまたま知り合った男女が恋に落ちるラブ・ストーリーが多いので、「じつは誰もがドラマチックな恋愛結婚(相手のカーストを考えなくてよい恋愛の成就)に憧れているのではないか」と思っていたのだけれど、考えていたのとはちょっと認識が違ったかも。
彼らはなにも恋愛をあきらめたり、ましてや馬鹿にしてるのでもない。
ただ、結婚のコンセプトというか、輪郭のようなものが、現代の若い世代の日本人よりもくっきりしているのかもしれません。
・・・・・・
なお、仮に異カースト同士で結婚すると夫婦そろって低いとされるほうのカーストに属さなければならないため、いわゆる「上カーストの相手と結婚して自分も格上げ」みたいなことは望めないしあり得ないそうな。
・・・・・・
ちなみに以上は、インドのヒンズー教徒の話。ほかの信仰を持つ人たちや、異教徒間の結婚についてはまた別の機会に。
5年前、娘とともに訪れたインドの村の幼稚園。さまざまな宗教とカーストの子どもが手をつないで、輪になって、じゃれあったりケンカしたり。いわゆる不可触民(カースト外)の子どもも二人いるんだけど、見分けなんてつかないでしょ? ただし食事の時間には、同じ鍋からおかずをよそうことを避けるため、先生はその子たちのぶんだけいったん別の容器に移してから皿にとってあげていた。特別な方針があるわけじゃない、インドのありふれた幼稚園での光景。


デリーなどの都市部では、馬やゾウによる結婚パレードが、交通渋滞を引き起こすのは問題だ、近代化の足かせだいった記事が近年のメディアではときおり報じられている模様。私も滞在中に何度か結婚パレードは見かけましたが、でも周囲の車や人たちはそれほど殺伐とした感じでもなく、のんびり眺めていた印象。
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2010年7月13日
じゃ~ん。これがカンチャナのお相手バラジ君(25歳/中央)。どうです。なかなかの男前でしょ? ガッツがあって朗らかで優しくて(私に対して←重要)、はっきりいって超ポイント高☆☆☆☆☆ でかしたカンチャナ!
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インドの結婚は、今なおほとんどがお見合い結婚だって、ご存知でしたか?
数字上では全体の約80パーセントと言われているようですが、インドで既婚カップルに遭遇するたびに「お見合い? 恋愛?」と尋問した私による小規模統計+印象では、「インドでは95パーセントはお見合い結婚」と言っても過言ではない感じ(ちなみに現在の日本は5~6パーセント程度。見合いが多かった昭和30~40年代で60パーセント)。

最近は恋愛結婚も増えたらしいけど、それは都市部での傾向であって、一般的にはやっぱり圧倒的にお見合い結婚が主流みたいなんです。
つまりインドでは、結婚と言えばお見合いが前提。
人口11億の既婚者のほとんどはお見合い結婚ってこと。
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ただし。とはいえ。
「親が縁談をもってきて親が勝手に決めちゃうもの」
「何が何でも男女間の恋愛は許されない」
…ってわけでもなさそうなんですな。少なくとも現在のインドでは。
とくに最近増えているのが、「恋愛お見合い」という形態とか。
《以下解説↓》

①同級生のA君とB子さんがお互いに好感を持ち、結婚したいと思った。

②それぞれの親に、子から「A君と結婚したい」「B子と結婚したい」と申し出る。

③お見合いの形態をとり、お互いの家族の了承を得て、結婚する。
家へおしかけて「お嬢さんをください!」みたいな一方からのアプローチではなく、両岸から足場を踏み固めていく感じか。
見合いが主流の国で、恋愛対象の異性を両親に向けてプレゼンするなんてずいぶん大胆な気がしますが、ほとんどの場合、子どもが連れてくるのは親の賛同が得られる条件がそろった相手なんだそうです。
もはや恋愛する段階から、意識が違うんでしょうね。
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また、恋愛とまでは行かなくても、子ども本人が自分に適切な相手を見つけてきてお見合い→結婚というケース、これも最近では多いらしく。
そしてカンチャナは、どちらかと言えばこのパターンなのでした。

カンチャナの結婚相手のバラジ君は、カンチャナの母親のチェラさんの「はとこ」にあたります。
つまりカンチャナにとっては親戚の一人で、子どものころからよく知った間柄だった。
ここが現代日本人にとっては「へえ~ ひえ~」な点ですね。
「まず私から、バラジと結婚したいと、両親に申し出ました」
えっ。カンチャナが言いだしっぺ。
「両親は賛成で、すぐバラジの両親に電話。バラジ本人も家族もこの縁談に賛成だったから、とんとん拍子で結婚が決まりました」
大学を卒業してすぐに決めたんでしょ。ずいぶん早いように思うけど。
「インドでは珍しくはないですよ。インドには、女性は28-29歳までに子どもを生まなければならないという考え方があります。逆に言えば、それまでに子どもを一人でも生んでいればいいというような感覚ですね。だから私は、どうせなら早く結婚して子どもをとりあえず一人は生んで、それから日本語通訳としてのキャリアを積みたいと思ったんですよ」
どうしてバラジ君がいいと思ったの?
「小さいころからよく知っている相手だからです。私とバラジはもちろん、家族同士もお互いよくわかっている相手・家と結婚するのは、安心ですから。親戚には適齢期の男性がほかにもいますが、バラジとは年齢も価値観も合いそうだから、数年前から候補として考えていました」
決定打は?
「私が日本語通訳として働くことをとバラジと両親が賛成・了承してくれたことです。独立したら早く子供を産んで、自分たちの暮らしと仕事のペースを作り、お互いの人生を充実させようねって、バラジとは話し合っているんですよ」
その相手がオトコマエでよかったよねえ~!
「ええ、おかげさまで。私はラッキーですよ」
(どうやらまんざらでもない模様↑)
ねえ、じゃあ、もしバラジと同条件でも、ぶっちゃいくな男性だったら躊躇してたと思う?
「んもう、モリさんったら面白い人ですね。だから私は、バラジが相手だから結婚するんですってば」
なるほどね。
インドという国で、アショカ家の娘という生を受けた人生、それを歩んできた彼女がみずから次に踏み出した一歩が、この結婚なんだ。

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なお、バラジ君はお父さんが経営する小さなIT企業で、父親の片腕として働いているんだそうな。
リーマン・ショックの余波をのりこえて落ち着いて、仕事にも意欲と自信が出てきた、そろそろ結婚をと思っていた矢先に、アショカ家から声がかかったらしい。
カンチャナの父、アショカさんは言う。
「バラジの家は、貧乏ではありませんが、特に大金持ちというわけでもありません。でもそれは問題ではなくて、むしろちょうどいいんデスよ。私たちにとっては。互いにつりあいがとれているというか。絶対に結婚相手の家は自分たちより金持ちでなければ、という親も多いですけどネ」
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気になってる人もいると思うので話しておくと、両家はともにヒンズー教徒で、いわゆる「同カースト」出身。
アショカさんらとの会話ではカーストについての話題にはこれまで触れたことがないんだけど(あちらからも話さないしこちらも切り出さない)、どうやら彼らはかなり高いほうのカースト出身らしい。
というわけで 、次回は、インドの結婚を語るには避けて通れないカーストについての話を少し。
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北部インド・ヒマラヤは万年雪が見られるリゾート地で、ハネムーナーに大人気。5年前に訪れたときも、標高約4000メートルのロータンパス山には雪を溶かさんばかりにアツアツの新婚さんがうじゃうじゃ。私が「写真撮るからいちゃいちゃして~」とリクエストすると、ご覧のとおり。ちなみにこのカップルたちも口をそろえて「見合い結婚だよ」だって。ふへー。
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2010年7月3日
11年ぶりに訪れた南インドのチェンナイで、11年ぶりに再会したカンチャナ。明後日の婚礼にむけて、ネイルとお顔のケアのために美容院へ行ってすっきり・ぴかぴかになった帰り道。滞在中にはたくさんの写真を撮ったけど、両親のアショカ&チェラさんにいちばん喜ばれたのはこの写真だったように思う。「モリさん、これこそカンチャナです。23年間、ともに暮らしてきた私たちの娘です」
・・・・・・・・・
ふたたびインドの話。
ちょっと間があいたのでいま一度解説させてもらうと、私が11年ぶりにチェンナイを訪れたのは、11年前にかの地で出会ったアショカ家の娘・カンチャナの結婚式に参加するためでした。
そしてかつて12歳だった女の子は、23歳の立派な一人の女性に成長していたのだった。

かつては吹けば飛ぶような細っこい娘だったのになあ~(ただし当時から目ぢからアリ)
・・・
12+11=23だから、あたりまえと言えばあたりまえ。
だけど彼女との再会は、「大きくなったね」以上の感慨を、私に与えたのであります。
「モリさん、ご無沙汰してました。ご家族はお元気ですか?」
ひょうひょうとした雰囲気と笑顔はかわらない。ただ前回と大きく違うのは、それがじつに流暢な日本語だったということ。
カンチャナが数年前から日本語を勉強し始めたことは知っていて、何回かチャットで日本語についての質問を受けたこともあったのだけれど、まさかここまで上達しているとは思わなかったなあ。
「カンチャナ~、日本語うまくなったねえ!」
「いえいえ、まだまだ足りなくてお恥ずかしいですよ。でも先日、おかげさまで初めて通訳の仕事を経験することができました。これからというところですね」
おばちゃんは、ただただ驚愕したのであります。
・・・・・・・・・・・・
11年前、カンチャナはちょっととんがったところがある思春期の女の子で、具体的には、彼女はお父さんの生き方に少し反感を抱いていたのでした。
「父は日本へ留学して日本語が堪能になって、たくさんの日本人と交流していますが、私にはその意味や目的がわからない。いろんなことに興味を持って、いろんなことに手を出して、すぐに相手をいい人だと信用して、あげく失望することも多いのです。私や母という家族を持ちながら不安定な生き方をするのは、無責任で自分勝手だと思うんです」
12歳のカンチャナと、たまたま居間で二人きりになったときに彼女がこぼした愚痴を、私はよく覚えている。
そしてその時、私はしっかりした娘だなあと感心すると同時に、共感も抱いたのです。
だってね。たまたま奥さんが町で知り合った得体の知れない日本人(=私たち)を家へ招いて、あまりにも無邪気に「モリさんたちはいい人ですネー!」と喜ぶアショカ氏に、まさに直面していたからね。
「アショカさん、警戒心なさすぎ!」って思ったもん、正直なところ。
・・・・・
おそらくこれまでにも何度もそういうことがあって、そのたびにカンチャナは小さなホステスとしての役割を果たし、父親の気まぐれに振り回されてきたのでしょう。
だからただピュアに日本語を学ぼうとする夢多きインド人よりも、カンチャナはよっぽど、日本人のよい面も悪い面も知り尽くしていたはず。
そのカンチャナが日本語を学び、そして父親と同じく通訳の道を選んで歩み始めるとは、じつはかなり意外だったのです。
・・・・・・
2010年、23歳のカンチャナは言う。
「父のことは尊敬しています。彼の日本語能力は、簡単に越えられるものではないと痛感しているし、たんに日本語がうまければ通訳できるわけじゃないってことも、今はわかっているんです」
おお、なるほどなるほど。そう思えるようになったのはよかった。
「ただし」
ここで続けたカンチャナの言葉には、思わず吹き出してしまったのであります。
「私は父よりももっと堅実で計画的です。23歳で結婚し、子どもを生んで、もっと日本語を勉強して、一流の通訳を目指すつもりです。婚約者のバラジも、それを理解し応援してくれる人だから結婚するんです」
だはははは~~!
しっかり父親が反面教師になってるよ~~~!
おばちゃんは笑いすぎて泣けてきたよ。
・・・・・・・・・
なんにもかわっちゃいない。
アショカ家のどたばたぶりも、台所から漂ってくる匂いも、屋上から見渡せるチェンナイの風景も、ベンガル湾から抜けてくる風も、豹変したものなんて何もない。
だけど、こんな言葉を聞ける日がくる。しかも日本語で。
それがカレンダー11冊ぶんの年月というものなのね。
あの居間の、その先の未来に、私はいるのね。
・・・・
カンチャナの部屋の壁に貼られていた紙には、日本語がびっしり。
これを見たとき、ドキッとしたのです。ゼロだったカンチャナが、ここにある言葉や漢字をすっかり吸収した11年間で、私は何をしただろうと。カンチャナが辞書や参考書と格闘したいくつもの夜に、価値はあるのだろうか。日本人は、その彼女のがんばりに応える国だろうか、民族だろうか。もうただ単純に、まだたくさんいるであろう世界じゅうのカンチャナに恥じない日本にしなくちゃって、思うじゃありませんか。
・・・
気になるカンチャナとフィアンセ・バラジが婚約に至った経緯については、次回。
・・・
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2010年6月30日
観たでしょう。観ましたね。やはりあなたも、ワールドカップ。
パラグアイvs日本戦。
ええもちろん、私も観ましたとも。今年の梅を漬けながら。
試合開始の約4時間前に、近所の写真家・柏原誠さんから「梅が来たよ」と電話をいただいて。奥様が那須のご友人の6000坪(!)の庭で収穫してこられた、そのおすそわけ。おすそといっても、どっしり7kgあるんだけど。
・・・・・・・
洗って拭いて、へそのぽっちり部分を取り除きながら、夜ジャスト11時に緊張と興奮のキックオフ!!
いやあ……つくづく、すごい試合でしたね。
ずーっと0対0。延長戦でも勝負が決まらず、PKの一球差でようやくパラグアイのベスト8進出が決定した「しんどい試合」。といってもイライラ鬱積という感じではなかったんですよね。両者の恐ろしいまでの集中力が発揮された120分間。心が高鳴りっぱなしの大接戦でした。
しびれる~
すごかった・・・・(どのシーンかわかりますか?)
・・・・
梅作業の終了とほぼ同時に、ゲーム・セット。
応援していた日本は敗退することになって、だからとうぜん残念で悔しい。けど爽快でもあった、そんな試合ってあるんですね。
両者ともに素晴らしかった!
日本チームの男たち、かっこよかったー!
やっぱりこの世で最上級の称号は「かっこいい」やなーと、思ったのです。
あああ
やっぱりせつない、けどね
・・・
というわけで、梅雨の夜長に漬け込まれたわが家の梅ドリンク。
むろん梅だから甘酸っぱいに決まってるんだけど、ネガティブな苦みは入ってはいないのです。
熱きサムライたちの雄姿が自動的に蘇るという特典がついたわが家の梅、飲み頃は梅サワーが10日後、梅酒が約1年後からです。
が、梅酒のほうはいっそ四年後に開けてみましょうかね。
・・・・・・・・・

先日スポーツバーで試合観戦したとき、サッカーファンのM夫妻と「このままでは開催地であるアフリカのチームがすべて敗退してしまう」「うーむ、そろそろ妖術師による呪いが必要になるかもな」と冗談のつもりで話していたちょうどそのとき、スカパーの画面に本当に妖術師がじゃーんと登場したから、仰天したのなんの。「ドイツのポドルスキー選手を呪うようにと依頼されました♪」って、さらっと言い過ぎやがな。ええとね、みなさま、私もかつて見たのですよ。ケニヤやタンザニアの新聞に、妖術師の活躍により解決した事件の記事がさらりと掲載されているのを。それにしてもこの妖術師も、「呪いはワールドカップの閉幕まできくようにかけてあります」って、あっけらかんとしすぎ~~。と、そのとき、M夫妻のみゆきちゃんが鋭い指摘をつぶやいた。「・・・この呪い、誰が依頼したんでしょうね?」・・・・・え?もしかして・・・もしかすると・・・まさか・・・がばめん(ごにょごにょ)・・・
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2010年6月25日
勝ちましたね、サムライJAPAN! デンマーク相手に3点、お見事っ。
気持ちのいい試合で本当によかった。
というわけで、みなさん寝不足ではないかと思うんですけど。
私はね、ええ、はい、寝不足ですとも。
以前はW杯をわざわざ観戦したことってなかったんだけどなあ。
くどいようですが、セルビア・チームのこと。
今朝の日本vsデンマークの24時間前に、セルビアvsオーストラリア戦が行なわれていたんですよ。
観戦したんです。スポーツ・バーなる所へ出向いて。
そんな所へ行くなんて生まれて初めてだったけど、地上波では放送されない試合だったから、観る手段はそれしかなくてね。
・・・・・・
連れは前回の6月18日同様、熱烈セルビア・サッカーきちのM夫妻。
草木も眠る午前3時、万難を排して待ち合わせ場所に集合したのです。


ああ、ミーハーはかくも愚かで純真なり。
そしてたどり着いたスポーツ・バーで、我々はセルビアチームを見守ったのです。

ほかの試合の解説や歓声を聞きながら、視覚だけに集中して声援って、まるで何かの修行みたい(?)
・・・
だけど、セルビアは負けちゃったんですよね、今回は。
2対1。どひゃひゃーん。

・・・
残念だった。くやしーです、そりゃ。
けど、やっぱり観て良かった。
この結果をニュースだけで知るんじゃなくてよかった。
M夫妻と応援できてよかった。オーストラリアの選手団に敬意。それにセルビア・チームのサッカーもとても美しかったです。
あー、だけどやっぱり残念だよお。
・・・
こんな感じですっかり朝になった世間の中をそれぞれの帰路についたわけですが、帰宅するとね、セルビア人の友人たちからいくつものメッセージが届いていたのですよ。

日本にいるセルビア人から。現地セルビアから。これが嬉しくてねえ。
それらのメッセージには、「セルビアを応援してくれてありがとうね」という喜びと感謝、そして次の日本チームの健闘を祈る言葉が付け加えられていたからであります。
これらは彼等の素直で、そしておそらく誠の気持ちだと感じて。
応援したり、応援されたり。ささやかながらも、縁があるから。
たかがそれだけのことだけど、なんかいいでしょ。
・・・・・・・・・

そして24時間後、日本対デンマーク戦が行なわれていたとき、日本がゴールをきめたことを私は遠く離れたセルビアの友人から入ったチャット・メッセージで知たのだった・・・(いくつかのメールも入った)。ああ、なんか、21世紀ですなあ。
・・・・・・
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2010年6月19日
ちょいと割り込んで、ワールドカップの話題をば。昨夜のセルビアvsドイツ戦。ご覧になりましたか?
行ってきたのです、参加してきたのです、この夜のために西麻布に出現した「セルビア・カフェ」
でね、贔屓目全開で応援したセルビア・チームが
おかげさまで
勝ったよ~~~~~~~~~~~~っっっ!!!
うっひゃー
ブラボー!!
ドイツ応援してた人、ごめーん!
・・・・・・・・・・・・

東京にぽつぽつ散らばるセルビア人と、
なんの因果かセルビア・チームに熱き思いを寄せることとなった日本人が集結


ともに祈り、
嘆き 手に汗にぎり
ピースサインもおそろい セルビア式指三本立てピ―――ス!!


・・・・
んで勝った、1対0!
嬉しかったあ
旧ユーゴ解体の波乱を経て 今年のワールドカップが「セルビア共和国」として初めての出場だった。 サッカー通に言わせれば、「正直なところセルビアに勝ち目はなかった強豪ドイツ」。
人はだから、サッカーから目が離せないのか。


はっきりいってマイノリティ 「ユーコ!」「ひさしぶり!」 なんだかセルビアがらみの集まりで顔見知りが増えてる
だけど 顔見知りであろうとなかろうと関係ないのがサッカーなのね



セルビア・ドイツ、選手&関係者各位。
そこにいた人たちも、家で応援してた人も、海の向こうもこっち側も。
Hvala puno,Volim teeeeeeee (おおきに、好っきやでええええ!)
・・・・・・

「ずっと胃が縮んで痛んで、手が震えてた」 試合終了後、ぐったり歓喜の放心状態・M夫妻。二年前にセルビアが縁で知り合い、今回いっしょに西麻布へ乗り込んだ。セルビア・サッカーの熱狂的ファン。かつて新婚旅行でセルビアくんだりまで足を運び(夫→初海外)、各地で練習場を見学、「ただそれだけで幸せだった」(本人たち談)のに、なななんとあのピクシー(ドラガン・ストイコビッチ=名古屋グランパス監督)と今大会の花形スタンコビッチらに対面できちゃった。あほミーハーの底ぢから。神様はやっぱ、こういう汗のにおいがお好きなんやね。
・・・・・・・・・
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2010年6月17日

1999年/11年前の筆者とアショカ夫妻
2010年/ふーむ。どうです? 私たち、かわった?
・・・・・・・・・・・・
漫画家・グレゴリ青山氏の著書に、『ふたたびの旅。』というのがあります。

『大人の週末バックパック ふたたびの旅。』/グレゴリ青山著/メディアファクトリー/950円(税別)
・・・・・
行ったことある国の、行ったことある場所へ、再び行ってみた。
グレちゃん自身が経験した、そんないくつかの旅と再会を描いた漫画エッセイなのですが、この「あとがき」の文章がしびれるのです。一見中学生が書いたのかと見まがうほど素直な文章で、真実のど真ん中をドキューンと貫いている。
その文章にシンクロする自分の思いを私が書こうとしても越えられるわけないと思うので、グレちゃんに無断で一部抜粋させてもらうことにしました(こらこら)。
・・・・・・
再びの旅というのは、実はちょっとコワイ。
楽しかったり、美しかったりした記憶の風景が、現実の風景に踏みにじられてやしないかと心配で、好ましい記憶の温存のためには二度とその場所へ行かないほうがいいとさえ思うくらいです。
・・・・・・
前置きが長くなりましたが―――そうなのです。
私は今回のインド旅の予定に、ふたつの「ふたたびの旅」を組み込んでおりました。
その心境がまさにこれだったわけです。
「ちょっとコワイ」
・・・・・・
そうしてこわごわ乗り込んだチェンナイは、かわってないけど明らかにかわっていて、当たり前だけどそれについての興奮もがっかりも喜びも、「再びの旅人」でないと味わえないのだった。
・・・
かわってない
約束してなかったのに、チェンナイの空港に迎えに来てくれてたアショカ&チェラ夫妻。アショカさんのおなかがちょっと出たぐらいで、二人ともかわらない。アショカ氏は53歳、ってことは11年前の彼と今の私がほぼ同い年ということか。
・・・
かわった

車の車種が。
「いまインドでは価格の安い国産や韓国の車の人気が上がっていますけど、やっぱりねモリさん、性能も燃費もアフターケアも、日本車がいちばんデスよ」
現在、インドで日本車といえばスズキ。アショカ氏の新車もやはりそうだった。意外なことに、トヨタやホンダはどちらかといえばマイナーなんだって。
・・・・・・
かわった

アショカさんちの前の私道。地道だったのが、
きれいに舗装されていた。
「この私道は奥のほうにある他の家の人たちも使うのですが、彼ら全員が同意してお金を出してくれるのを待つのは難しいとわかったので、私が全費用を出しました」
アショカさん、仕事がうまくいってるんだね。
「ええ、おかげさまで好調デス。自分自身の中にいろんな迷いがあった11年前に比べてずいぶん状況はよくなって、充実していマス」
・・・・・・
かわった

アショカ家の隣人の犬・ビブ君が
ちがう犬に代替わりしてた。
ただし名前は先代と同じ。「だってー いちいち考えるのがめんどうだから」
↑インドではこのパターンが多いような気がする。
・・・・・・
かわった

アショカさんの仕事場のデジタル機器。一台きりだったパソコンが、
今や2台のデスクトップ+1台のノート+株価変動チェック用のテレビが常時電源ON状態。
ぜったい電磁波の量も増してまっせ。
・・・・・・
かわらない

居間の神様の銅像
同じ窓際に
・・・・・・
かわったけどかわらない

チェラさんのママの遺影写真
場所が移動したけど、かわらず暮らしによりそってる
・・・
うーん、何もかもが懐かしい。まさかまた戻ってくる日が来るとは思わなかったし。
かわったものも、かわらないものも、アショカ家のすべてにいちいちワーキャー騒いでしまったのです。
私たちが去ってからも、ここにはこの家が存在して、ここで彼らの人生は続いてたんやなあ。
・・・
だけどね、最高に嬉しい「かわった」は、やっぱり・・・・・
次回につづく!

これだけはまったくかわらない、おそらくこれからもずっとここで。激しく寄せては返しを繰り返す、ベンガル湾の波。
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2010年6月14日

さかのぼること11年前。南インドはチェンナイのバス停で、「どのバスに乗ればええんかな?」と迷ってたときの写真。
後ろ姿はいっしょに旅した友人のMちゃんと、バスの説明をしてくれた親切なおじさん。といっても重要なのは、じつは奥に写ってる緑色のサリーの女性だったりするんですが。
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このときはまだ見知らぬ同士だった。
そして数秒後に我々の存在に気づいて声をかけてきてくれたその人こそが、その後のキーパーソンとなるのでした。

「日本の方デスか?」←うわっ、日本語だあ!
彼女の名はチェラさん。
聞くと旦那さんがかつて山口県への留学経験がある大の親日家で、だから彼女も少しだけ日本語を話せるんだとか。めったに日本人を見かけないチェンナイだから、驚いたのなんのって。
そしてその日のうちに、

旋風のごとくホテルまで会いに来てくれたのが旦那さんのアショカさん。日本とインドの企業の橋渡しが仕事。日本語は「うちのダーリンよりうまい」と思うほど。
そして我々はそのチャーミングなお人柄に、一気にフォーリン・ラブしてしまったのでした。
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家に招かれ大盛り上がり
もう、もう、じゅうぶんすぎるほど幸せ~と思っていたのです。
ところが我々が映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』のファンだからチェンナイへ来たと知った夫妻が、「なら主演女優のミーナに電話してみましょう」と言い出したものだから、

↑と、笑っていたら

本当に電話しちゃったりして
で、本当に会えちゃったりして
(↑コネなし。吉永小百合にいきなり電話したら家へ招かれたと言うようなもの。すでに何度も紹介してる話ですな。詳細は自著『旅のそなた!』をご覧下さい)
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ほかにも、

ほかにも、

彼らのおかげでチェンナイ滞在3泊4日は

最高のものとなったのです。
・・・・・・
その後、日本でも何度か再会が実現して

ここだけの話、アショカさんの尻尾をつかんじゃったりもして
なんだかんだで海をはさんだ交流は、その後もずっと続いたのでした。
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そして・・・なんとも嬉しい知らせが舞い込んだのが、今年のはじめ。

「森さん、娘のカンチャナが結婚することになりました」
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これが私が5月に旅立った理由。バス停の出会いからカレンダー11冊ぶんの時を経て、ふたたびチェンナイの地を目指したいきさつなのです。
さあ、ではいよいよインドに降り立ちますよ。
友人たちのもとへ。
ふたたび、タミルナードゥの神様のもとへ。
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チェンナイはあまり日本人観光客にはなじみがないけど、南インドの玄関口。タミルナードゥ州の州都。かつての地名『マドラス』は、マドラス・チェックの語源なのです。

チェラ&アショカ夫妻のひとつぶ種・娘のカンチャナ(当時12歳)と、いとこのマナサ(5歳)、うちの娘(3歳)。さて、どんな風に成長してるかな? こんな種類のワクワクは、若いもんにはわからんだろうな。


自分が嫁入りしたときの大切なサリーを着せてくれたチェラさん。「森さんは、亡くなった私の母と似ています。どこか面影が重なるのです」

うしろの壁に飾られたお母様の遺影はお顔の彫り深くて私ののっぺり顔とは明らかに違うんだけど、そういえばと思うところもあって。これも何かのご縁でしょうかと、語りかけたのです。
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2010年6月5日
インド報告ルポの前に、ちょっと旬の話題に寄り道を。
どじゃーん。元気いっぱい、グリーン・アスパラガスが北海道から届いたものですから~♪
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札幌の義兄夫婦が送ってきたのです。
アニキ・貫田桂一(ぬきたけいいち)は北海道でフード・ディレクター(という謎の仕事)を生業としている男。畑や野山を歩き回り、生産者と語り合い、北海道のおいしい地産食材を探し回っている。今日我が家に届いたのは、そんな兄貴がイチオシの宝石みたいなアスパラガス。
・・・
嬉しいですよそりゃもう。ありがたいったらありゃしません。
ただね、心の円グラフを分析すると、じつは「嬉しい気持ちだけ100%」とは言い切れないようなところもあったりする。
わかってもらえますかね。

つまりこういうことですよ↓

お菓子や果物なら食べるだけ。でも野菜や魚介類といった素材系はそうはいかない。つまり「素材の持ち味を自分の調理で台無しにしたらどうしよう」・・・という類のプレッシャーがともなうということですね。
兄貴から生産者の心意気や苦労話を聞かされていればなおさら。だから今回も、ギンギンの集中力と祈りにも似た思いを抱いて台所に立ったわけです。
・・・
家族を食卓につかせる。
フライパンの湯がグラグラきたら、すかさず投入!
そしてグリーンが最高に美しく輝く瞬間を逃さず・・・
塩とバター。さあ、いただきます!
言うことなし。最高です。めでたしめでたし。
でもそのとき湧き上がってくるのはただ 「おいしかった」という感慨ばかりじゃなくて、なにやらひとつの責任やミッションをクリアーしたような清清しさだったりもするわけです。
「北の国の大地よ、私はあなたが育てた2010年の初夏のアスパラを上手に茹でて最高においしく味わったぞー! 」
えへ。こういう心情って、まったく理解できないって類のものじゃないと思うんですが、いかがでしょう?
・・・

なんとも贅沢、本日の娘のお弁当はアスパラが主役。目を射らんばかりのグリーン、これが自然の色だなんて、つくづくすごいねえ。

アスパラに同梱されていたバターは昔ながらの製法を尊重し丁寧に作られた逸品。産地が同じ食材同士は相性がいい、これもひとつの真実だと思うのです。(北海道の安全でおいしい野菜の専門店『アンの店』。このお店が扱う物はどれも本当においしくて体も喜ぶ。超おすすめです)
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北海道のおいしいものと生産者の話題が盛りだくさんな貫田桂一(ぬきたけいいち)のブログ、ぜひいちどのぞいてやってくださいね。『シェフ貫田の北海道うまうま大辞典』 http://blog.gutabi.jp/special011/
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