2010年8月2日
ポーランドのワルシャワから東京にやってきた、ベトナム人のコイさんと感激の対面。じつは会うのも話すのも初めてなんだけど、顔を見るやいなや抱きあって、ぴょんぴょん跳ねながら会えた喜びを分かち合ったのです。
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いやあ。まさかこんな対面が実現する日が来るとは。
コイさんは、ポーランドのワルシャワからやって来たベトナム人科学者。学会で発表するための8日間の初来日。
日本に着くやいなや電話をくださったので、飛んで会いに行ってきたのです。
なんじゃそりゃ。いったいどういう関係か、というとですね。
ずばり、私がネット上で知り合った友だちのお父さんなのです。
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もとをたどれば、私がご執心のセルビア人歌手マリヤ・シェリフォビッチがきっかけだったりするんですが(まただよ)。
マリヤちゃん情報をネットで血まなこで追っかけるうち・・・
やはり熱狂的なファン、ポーランドのアグネス↑(才女)とネット上で仲良しになる。

アグネスの隣人の、当時16歳だったベトナム人の女の子・イザランちゃん↑が「私も日本人と友だちになりたい!」と熱望。
で、日本代表として、チャット交流が始まり、かれこれ3年。
そのイザランのパパがこのたび来日、対面が実現、
・・・というわけなのです。
うへー。なんとも21世紀的な出会いですよねえ。
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なぜイザランが日本に興味を持つようになったかというと、ずばり、彼女が日本のアニメの大ファンだから。
イザへのプレゼントを探すために秋葉原のアニメ・ショップへ。店内には金髪さんからアジア系まで、外国人がうようよ。みんな熱心で嬉しそう。アニメは日本の貴重な輸出資源、世界を喜ばせるカルチャーなんだねえ。
イザのお気に入りは『ヴァンパイア騎士』。その他にもいろいろあるらしいけど、私にゃわからん。これまでにも『NARUTO』『スラムダンク』などの本を送ってあげた私は完全にかわいこちゃんにやられたパトロン状態。
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唐突に「月にかわっておしおきよ!」なんて言ったりして私を驚かせるイザラン。
日本アニメをインターネットでむさぼり見るうち覚えたのにくわえ、日本語講座やテキストなどでも勉強しているとのことで、けっこうなレベルまで読み書きができるようになっている。
『好きこそものの上手なれ』の、まさに体現なのであります。
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イザとアグネス、二人からの贈り物♪ ワルシャワの写真集と、度数50度の強いお酒と、チョコレートという豪華版。
写真集にはイザからの解説がいちいち付箋で貼られている。「ここの広場のアイスクリームは世界一おいしい」「6歳のとき家族で遊んだ公園」「ここがアグネスが通ってるワルシャワ大学」「ハハハハハ!超かわいそうな銅像(↑写真)」・・・泣けてくるほど嬉しい。
パパのコイさんは、「ユウコと会ってプレゼントを渡してきて!」という娘からの願いを叶えてあげられたのが嬉しくてたまらないといった様子で、たくさんの話を聞かせてくれました。
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1952年、ベトナムの首都・ハノイで生まれたコイさんは、現在59歳。
そう。つまり、ちょうどあの1960~70年代のベトナム戦争のころに青春時代をすごしたってこと。
ベトナム戦争。
小学生だった当時に見たニュース映像、私は今でもよく覚えてる。たしかあれは私たちが見た、モノクロではない初めてのカラー映像の戦争だった。校長先生が朝礼で、「ベトナムの子どもたちはいま大変」という話をした。
あの映像の向こう側で、コイさんも生きていたのね。校長先生が「大変だ」と言っていた、その子どもがコイさんなんだね。
事実、彼の人生は波乱万丈だったらしい。
戦争終結とともに国を出て必死で勉強して働いて転々として、ようやく落ち着けた4つ目の国が、今暮らしているポーランドのワルシャワなんだそうな。
結婚相手はやはりベトナム人の同級生。
ポーランドに来てからすぐの1982年に長女イザランが誕生し、今は2DKのアパートでの家族四人暮らし。
「つつましやかだけど、とても幸せなんです」と、コイさんは語るのです。本当に、噛みしめるように。
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ポーランドに暮らすベトナム人にとって、アイデンティティや習慣の中心はどこにあるのか。それは私にとって大きな関心事でありました。
ニューヨークのイタリア人も、マレーシアのインド人も、ベルギーのトルコ人も、いわゆる在外移民というのはそれぞれがそれぞれのコミュニティを持ち、現地に馴染みながらも他民族とは交わらないモザイクのような生き方をしているという印象が強いのです。
ではイザの場合はどうなのか。彼女はかつてこう↓語っておりました。
「ベトナムに行ったことはあるけど、そこが自分のルーツだっていう実感や感慨はないの。私にとっては里帰りというより、ママとパパのための旅行という感じかな。
でもおばあちゃんたちに会うのは嬉しい。泣いて喜んでくれるから」
彼女が「今からごはん作って食べる」というときのメニューはだいたい、レンジでチンのハッシュド・ポテトやパスタ、ポップコーン。ベトナム料理はママがたまーに作ったことがあるという程度らしい。だから「ユウコすごい! 私よりもよっぽどたくさんベトナム料理の名前を知ってるね」とイザから驚かれて驚いたのは、むしろ私のほうだったりするのですよ。

彼らは家庭内ではベトナム語も話すらしいけど、ワルシャワで生まれ育ったイザにとってはポーランド語のほうが母語なのです。
つまり彼女はもはや、私がベトナムで知り合ったベトナム人たちとは違うニュータイプ。
「ベトナムを知らないベトナム系ポーランド人」を、ワルシャワという土地で生きているのね。
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「コイさんは、いずれポーランドを離れて、ベトナムへ帰るつもりですか?」
すると彼は、オレンジジュースに一度口をつけてから、にっこり笑ってこう答えたのでした。
「それはとても難しい質問ですね。
私にとってベトナムは、世界のどんな快適な場所よりもくつろげる永遠のふるさとです。正直なところ、帰りたい。年老いた母のことも心配ですし、できればハノイで暮らしたいんです。
でもね、ユウコさん。私の今の仕事や家族は、ポーランドのワルシャワにあるのです。
私にとってはベトナムが故郷でも、ワルシャワで芽を吹き育った子どもたちにとってはそうではない。彼らがこれからベトナムで暮らすことは、彼らにとってはむしろ不自然です。彼らがそれを希望するとは思えないし、私も強要したくありません。彼らには彼らの人生を歩んでほしいんです。
私が退職したらハノイに戻る可能性はあります。でも、どうするかはまだわかりません。
かつてベトナムで生まれ育ったことも、今ポーランドで家族と暮らしていることも、両方が私の人生だから」
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ちなみにパパにとっての目下の悩みは、イザの現代っ子っぷりらしい。
「イザは賢い子なんですが、ちょっと目を離すとネットにばかり浸って。さいわい住まいが狭いので、私がいるときはイザも渋々電源を切るんですけどね」
あはは、そりゃいい環境だ。
「最近の若者は、イザも含めて、生まれたときからモノが豊富な環境で育ってるでしょ。がまんしたことがない。ストレスに弱い。夢や目標を持とうという意識が薄い。いいのかこれでって思っちゃいます」
どうやら悩みどころは、あっちもこっちも同じみたいですなあ。
でもね、コイさん。
少なくともイザランには、具体的な夢があるみたいですよ。
私、夜中にさんざん聞いてるからね。
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「ユウコさん、私はね、日本のアニメを日本語で理解できるようになりたいんですよ。そしていつか日本へ行って、日本人のボーイフレンドを見つけるの☆きゃは」
↑ずばりこれがイザランの夢らしい。かなり本気。
でもねイザ。ボーイフレンドは国籍で選ぶもんじゃないよ。決めつけないほうがいいよ。
「えーっ。私、日本人のことけっこうわかってるつもりですよ。アニメを通して。きっと感性があうなーって思うんです♪」
・・・んなもん、バーチャルな世界やがな。
だいたいイマドキの日本男子はやわやわのモヤシが多いから、ポーランドで肉食系の男前をゲットしたほうがいいって。イザは可愛いから、漁り放題やん。
「ポーランドの男の子には興味ないんですってば。とにかく将来日本へ行って、アニメを日本語ですらすら楽しめるようになって、日本人のボーイフレンドをゲットするんですよーだ」
どうです。若いでしょ。かわいいでしょ。心配でしょ。
まあその時は、おばちゃんが何かと世話を焼いてあげるしかないでしょうよ。
ワルシャワのアパートと東京の窓の間に奇しくも糸がつながって、こうして引き合い始めたんだから。地球上、数十億分の一の砂粒みたいな確率をぬって。ねえ。
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2010年7月3日
11年ぶりに訪れた南インドのチェンナイで、11年ぶりに再会したカンチャナ。明後日の婚礼にむけて、ネイルとお顔のケアのために美容院へ行ってすっきり・ぴかぴかになった帰り道。滞在中にはたくさんの写真を撮ったけど、両親のアショカ&チェラさんにいちばん喜ばれたのはこの写真だったように思う。「モリさん、これこそカンチャナです。23年間、ともに暮らしてきた私たちの娘です」
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ふたたびインドの話。
ちょっと間があいたのでいま一度解説させてもらうと、私が11年ぶりにチェンナイを訪れたのは、11年前にかの地で出会ったアショカ家の娘・カンチャナの結婚式に参加するためでした。
そしてかつて12歳だった女の子は、23歳の立派な一人の女性に成長していたのだった。

かつては吹けば飛ぶような細っこい娘だったのになあ~(ただし当時から目ぢからアリ)
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12+11=23だから、あたりまえと言えばあたりまえ。
だけど彼女との再会は、「大きくなったね」以上の感慨を、私に与えたのであります。
「モリさん、ご無沙汰してました。ご家族はお元気ですか?」
ひょうひょうとした雰囲気と笑顔はかわらない。ただ前回と大きく違うのは、それがじつに流暢な日本語だったということ。
カンチャナが数年前から日本語を勉強し始めたことは知っていて、何回かチャットで日本語についての質問を受けたこともあったのだけれど、まさかここまで上達しているとは思わなかったなあ。
「カンチャナ~、日本語うまくなったねえ!」
「いえいえ、まだまだ足りなくてお恥ずかしいですよ。でも先日、おかげさまで初めて通訳の仕事を経験することができました。これからというところですね」
おばちゃんは、ただただ驚愕したのであります。
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11年前、カンチャナはちょっととんがったところがある思春期の女の子で、具体的には、彼女はお父さんの生き方に少し反感を抱いていたのでした。
「父は日本へ留学して日本語が堪能になって、たくさんの日本人と交流していますが、私にはその意味や目的がわからない。いろんなことに興味を持って、いろんなことに手を出して、すぐに相手をいい人だと信用して、あげく失望することも多いのです。私や母という家族を持ちながら不安定な生き方をするのは、無責任で自分勝手だと思うんです」
12歳のカンチャナと、たまたま居間で二人きりになったときに彼女がこぼした愚痴を、私はよく覚えている。
そしてその時、私はしっかりした娘だなあと感心すると同時に、共感も抱いたのです。
だってね。たまたま奥さんが町で知り合った得体の知れない日本人(=私たち)を家へ招いて、あまりにも無邪気に「モリさんたちはいい人ですネー!」と喜ぶアショカ氏に、まさに直面していたからね。
「アショカさん、警戒心なさすぎ!」って思ったもん、正直なところ。
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おそらくこれまでにも何度もそういうことがあって、そのたびにカンチャナは小さなホステスとしての役割を果たし、父親の気まぐれに振り回されてきたのでしょう。
だからただピュアに日本語を学ぼうとする夢多きインド人よりも、カンチャナはよっぽど、日本人のよい面も悪い面も知り尽くしていたはず。
そのカンチャナが日本語を学び、そして父親と同じく通訳の道を選んで歩み始めるとは、じつはかなり意外だったのです。
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2010年、23歳のカンチャナは言う。
「父のことは尊敬しています。彼の日本語能力は、簡単に越えられるものではないと痛感しているし、たんに日本語がうまければ通訳できるわけじゃないってことも、今はわかっているんです」
おお、なるほどなるほど。そう思えるようになったのはよかった。
「ただし」
ここで続けたカンチャナの言葉には、思わず吹き出してしまったのであります。
「私は父よりももっと堅実で計画的です。23歳で結婚し、子どもを生んで、もっと日本語を勉強して、一流の通訳を目指すつもりです。婚約者のバラジも、それを理解し応援してくれる人だから結婚するんです」
だはははは~~!
しっかり父親が反面教師になってるよ~~~!
おばちゃんは笑いすぎて泣けてきたよ。
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なんにもかわっちゃいない。
アショカ家のどたばたぶりも、台所から漂ってくる匂いも、屋上から見渡せるチェンナイの風景も、ベンガル湾から抜けてくる風も、豹変したものなんて何もない。
だけど、こんな言葉を聞ける日がくる。しかも日本語で。
それがカレンダー11冊ぶんの年月というものなのね。
あの居間の、その先の未来に、私はいるのね。
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カンチャナの部屋の壁に貼られていた紙には、日本語がびっしり。
これを見たとき、ドキッとしたのです。ゼロだったカンチャナが、ここにある言葉や漢字をすっかり吸収した11年間で、私は何をしただろうと。カンチャナが辞書や参考書と格闘したいくつもの夜に、価値はあるのだろうか。日本人は、その彼女のがんばりに応える国だろうか、民族だろうか。もうただ単純に、まだたくさんいるであろう世界じゅうのカンチャナに恥じない日本にしなくちゃって、思うじゃありませんか。
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気になるカンチャナとフィアンセ・バラジが婚約に至った経緯については、次回。
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2010年2月18日

オレンジ色の電車でおなじみ、JR中央線沿線。
東京在住でない方でも、「ああ、文化人というか、ちょっと変わった人たちが集まってるっぽいエリアでしょ?」って、思い当たるんじゃないかと。
そうです。青山・表参道がエッジなTOKYOカルチャー発信地(緊張感ある空間に加湿器の音だけが響く)だとすれば、中央線沿線はいまだにサイフォン式コーヒーやLPレコードが実働してそうな、「文化系自由人」という字面がぴったりな人々の生息エリアであります。
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私は一度も中央線沿線に暮らしたことはないのですが、東京在住20年の私なりに抱いている「中央線な人びと」の脳内イメージを並べてみることにしました(まあ、たいていの東京住民にとっての中央線イメージはこんな感じですよきっと)。
さすがに今は↑こんな文士はおるまいですが。かつて太宰治(三鷹)、井伏鱒二・与謝野晶子(荻窪)、北原白秋(阿佐ヶ谷)など、多くの作家が暮らしていたことは有名。
音楽系はジャンルを問わず、高円寺周辺に集中。ちなみに現在「おたくの聖地」と呼ばれる中野駅前の「中野ブロードウェイ」上階には、かつて沢田研二(ザ・ピーナッツと離婚するまで)、青島幸男(東京都知事になるまで)も住んでいた。
両者ともに、間違っても「HANAKOに載ってたから」という理由では行く店を選ばないタイプ。いや・・・オーガニックさんのほうはむしろ「OL時代はHANAKOがバイブルだったけど率」が高いかもしれんなあ。

アカデミックおじさんのカバンには英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語あたりの本が入っているが、あくまでも参考文献であり、本来の専門はウズベク語・セルボクロアチア語・アラビア語(シリア方言)といったマイナー言語の文化圏。かつての文学青年が文学への興味と情熱をしぼませないまま大人になったようなケースで、翻訳・執筆・大学教授などが職業。「ドル固定360円時代に国費留学あるいは放浪した先」が第二の心のふるさと(以上妄想)。
白ダウンのお姉さんは中央沿線に住んでいるわけではなく、西武新宿線や青梅線方面から買い物目的で来ただけの可能性が高い。中央沿線はスタジオジブリ(東小金井)などのアニメ制作会社が点在するゆえ、海外のアニメ・ファンの間では聖地とあがめられております。
バラエティに富んでる。けど妙な一貫性がある中央線沿線。
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もちろん私が生まれ育った大阪にも、さまざまなカルチャーがありました。
しかし私はそれらと中央線沿線との間に、なにやら決定的な違いみたいなものを感じてしまうのです。
いわゆる関西(うどん)VS関東(そば)みたいな差異じゃなくて。
・・・・で、はたと思い当たったのが、「実家で親と暮らしてる率」の違いでございました。

玄関を出るときに親から「なんだその格好は?!」「どこ行くの?」「誰と会うの?」と言われるのと言われないのとの違い。家賃と生活費をやりくりしながら「好き」を追うのと、そうじゃないのとの違いは、やっぱりあるんじゃないかと。
(もちろん大阪にも九州や四国から仕事や勉強のために出てきた人がたくさん住んでいる。けど絶対数が違う。おそらく一人暮らしの目的も傾向が違う。「親元に住んでたら自分らしく生きられない」という意味ではなく、単純に「環境の違いがありますわな」という話ね)
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「東京で一人暮らしなんて、気ままでけっこうだね」「夢を追って上京なんてロマンチストだね、甘ちゃんだね」と、言う人がいます。
否定しません。だけどね。
じつは現実的でなければロマンや理想を抱き続けることなんてできないんじゃないかと思うのであります。
一人暮らしは気ままであると同時に、孤独でもある。家賃は高いし、さまざまな現実が切実に迫ってくる。
つまりつべこべ言われなくても、ちゃんと「現実」に淘汰されてゆくのです。
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この沿線にかつて多くの作家が暮らしたのも、70年代のヒッピー・ムーブメントや学生運動の集会が夜な夜な開かれたのも、平日昼すぎにボサボサ髪+つっかけ履きで表を歩いても後ろ指をさされないような、呼吸しやすい開放的な土地柄だったからだそうです。
まだエスニックなんて言葉が日本語になかった時代に、ヨガも、チャイも、鼻ピアスも、アフリカの太鼓も、とりあえず存在できた場所。そんな土壌は東京ならではだと思うし、私が東京を好きなのはこういうところです。
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中央線な人びと。
「若気のいたり」を通り越し、なおそこで生きる人びと。
珍人ではあるけれど、意外と変人ではないんですよね(←微妙に違うの。数が少ないのが珍人、わけわからんのが変人)。ユニークな人たちが磁力にひかれるように集う。集うからビジネスも交流も成立する。だからきっと淘汰もされる。
中央線に暮らした人は、中央線沿線から離れられなくなるというのはよく聞く話。そんな中央線沿線独特の中央線っぽさに一歩距離を置いて「たまに行く場所」にしておきたい人種もいて、私もそんなひとりです。
いずれにせよ、日本中どこもかしこもスタバとビッグ・カメラとルミネばっかりーみたいな画一化が進んじゃった時代に、いまだに「絶対無二の中央線沿線っぽさ」が色あせず元気ってのがすごいなあと思うし、うれしいのであります。
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ところでなぜいきなり中央線を語ったのかというと、ええと、じつは先日約12年ぶりに下車した西荻窪(にしおぎくぼ)について書こうとしたら、序章だけでやたら長くなってしまったという次第でしてね。へへ。
というわけで、次回は、♪るんるん♪もりりんの西荻ぷちガイド♪ お楽しみに!(ほんまにプチですが)
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矢野顕子の名盤中の名盤、『Super folk song』(スーパー・フォーク・ソング)。この中に収録されてる一曲、その名もずばり『中央線』。-------- 走り出せ中央線 夜を越え僕を乗せて♪ 名曲中の名曲です!
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